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日本絵画の歴史!江戸時代後期の有名画家やその作品達をわかりやすく解説!

日本絵画の歴史!江戸時代後期の有名画家やその作品達をわかりやすく解説!



mars
どうもこんにちわ、画家のマルスです。

 

今回は江戸時代後期の時代背景や作者たち、そしてその作品達をわかりやすく解説して行きたいと思います。

 

その時の時代背景や作者たちのことがわかると、作品を見るのがすごく面白いですよ。

 

もしよけれだ最後まで読んでみてください。

 

この前の時代の美術が知りたい人は、こちらの記事を読んでね。

 

江戸時代後期はどのような時代だったのか?

 

江戸時代後期は19世紀を中心に、第11大将軍の徳川家斉の治世から幕末までの激動の時代で、鎖国か開国かで政局が揺れ動いていました。

 

そのような中、庶民の間では実用的な学問書や技術書などが流行り、出版業界は急速に拡大しました。

 

特に出版部数が京都を上回った江戸では、文化活動が増して絵画の世界でも活況を見せます。

 

旅行ブーム到来!新ジャンルの「風景画」が大流行!

 

参勤交代を背景とする交通網の発達によって旅行ブームが到来しました。

 

その事により浮世絵では、全国各地の名所を描いた風景画が新たなジャンルとして確立され、人気を集めました。

 

特に葛飾北斎が描いた「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」シリーズや、歌川広重の「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」シリーズが大ブレイクしました。

 

旅行気分が味わえるので人気を集めたんですね。

 

江戸琳派の活躍!

 

姫路藩主の次男として生まれた酒井抱一は、尾形光琳(おがたこうりん)の大ファンで琳派に江戸の感覚をミックスさせた絵画を生み出しました。

 

それ以降も鈴木其一(すずききいつ)や、幕末の神坂雪佳(かみさかせっか)らが光琳をリスペクトする画家が続き、江戸琳派と呼ばれるようになりました。

 

京都画壇の南画も大流行!

 

京都では円山応挙(まるやまおうきょ)の弟子の呉春(ごしゅん)が開いた四条派や、浦上玉堂(うらかみぎょくどう)らの南画(中国の文人画の影響をうけた絵)が存在感を示していました。

 

そして江戸では谷文晁(たにぶんちょう)らが独自に中国画を研究して、沈南蘋(しんなんびん)(中国の宮廷画家)や西洋の技法なども取り入れて南画を描きました。

 

個性豊かな絵師たちにと絵画!

 

葛飾北斎(かつしかほくさい) 本名 川村鉄蔵(かわむらてつぞう) 1760〜1849年

 

19歳で浮世絵師の勝川春章(かつかわしゅんしょう)に入門し、その翌年には「春朗(しゅんろう)」の名前でデビューします。

 

この時代10代半ばには入門するのが普通で北斎は遅い入門でしたが、デビューまでは異例の速さでした。

 

しかし30代なかばまではあまり光が当たらず苦しい生活をおくります。

 

その後45歳ごろに読み本の挿絵で頭角を現し、40代後半には1400点もの挿絵を手掛け、50を過ぎた頃には多くの弟子をかかえるようになりました。

 

弟子たちに名前をよく譲っていたこともあり、彼の絵師としての名前は30以上あると言われます。

 

絵師としては遅咲きでしたが、晩年も創作意欲は衰えず90歳まで制作しました。

 

富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)

 

富士山を様々な角度から描いたシリーズで、最初に36図が描かれ好評だったため、10図が追加され全46図で完結する作品です。

 

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」

 

 

作者 葛飾北斎

作品名 「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

製作年 1830〜32年

技法 大判錦絵

サイズ 25.4x38.1cm

所蔵 MOA美術館

 

 

「富嶽三十六景 凱風快晴(がいふうかいせい)」

 

 

作者 葛飾北斎

作品名 「富嶽三十六景 凱風快晴」

製作年 1830〜32年

技法 大判錦絵

サイズ 25.4x38.1cm

所蔵 MOA美術館

 

 

西瓜図(すいかず)

 

 

作者 葛飾北斎

作品名 「西瓜図」

製作年 1839年

技法 絹本着色

サイズ 86.7x29.7cm

所蔵 宮内庁三の丸尚蔵館

 

 

北斎が80歳のときの作品。

 

半分に切られたスイカと縄に吊るされたスイカの皮は、何を意味するのか謎とされてきましたが、現在は七夕飾りの見立てという説が有力です。

 

立体に描かれた包丁の柄の部分や縄の部分に見られる陰影表現などは、北斎の娘の「お栄」画号は「応為(おうい)」の画風に似ていることから、娘との合作だといわれています。

 

お栄は、嫁ぎ先から出戻り晩年の北斎とともに工房の仕事を手伝っていたことが近年明らかになっています。

 

北斎漫画(ほくさいまんが)

 

50歳を過ぎた頃から弟子のために描いたとされる「北斎漫画」には、人や動物、妖怪から物、風景や自然現象までありとあらゆるものが描かれています。

 

北斎漫画 九編より 「士卒英気を養うの図」

 

 

作者 葛飾北斎

作品名 北斎漫画 九編より 「士卒英気を養うの図」

製作年 1819年

技法 版本

サイズ 22.5x15.6cm

歌川広重(うたがわひろしげ) 1797~1858年

彼は元武士で、はやくに両親を亡くして15歳で歌川豊弘に入門します。
最初の頃は美人画や役者絵をかいていましたが、まったくヒットせず、30代半ば頃から風景画で知られるようになり、風景画の第一人者としての名声を獲得しました。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)

東海道53の宿場と始点と終点を合わせた計55枚のシリーズです
東海道五十三次 日本橋
作者 歌川広重
作品名 「東海道五十三次 日本橋」
製作年 1833~34年
技法 大判錦絵
サイズ 23.0x35.7cm
東海道五十三次 庄野(しょうの)
作者 歌川広重
作品名 「東海道五十三次 庄野」
製作年 1833~36年
技法 大判錦絵
サイズ 25.0x37.3cm
彼の風景画は、天候や昼夜の変化や遠近法をうまくつかい、独自の構図で見るものを飽きさせない工夫がされています。

歌川国芳(うたがわくによし) 1797~1861年

 

彼は絵師を志して15歳で歌川豊国入門します。

 

31歳頃には武者絵のシリーズでブレイクし、「武者絵の国芳」と呼ばれました。

 

西洋の技法などを取り入れた風景画やユーモラスに描いた風刺画など、多彩なジャンルでも人気を集めました。

 

相馬の古内裏(そうまのふるだいり)

 

 

 

作者 歌川国芳

作品名 「相馬の古内裏」

製作年 1844年

技法 大判錦絵三枚続

サイズ 36.2x74.1cm

 

 

和漢の故事や歴史説話をたくさん浮世絵にしています。

 

それらの作品の多くは、三枚続という画面を使いました。

 

それまでの三枚続の浮世絵は、一枚ずつ単体でも鑑賞できたのですが、国芳の描くそれは三枚揃わないと鑑賞できない作品で、彼が初めて描きました。

 

酒井抱一(さかいほういつ) 1761〜1828年

 

姫路藩主で酒井家の次男。

 

文化的に恵まれた環境で育ち、37歳で出家して尾形光琳を心の師匠として画業に励み、江戸琳派の流れを作った一人です。

 

夏秋草図屏風(なつあきくさびょうぶ)

 

 

本作は光琳が俵屋宗達の作品を模した「風神雷神図屏風」の裏に描かれたものです。

 

風神の裏には左の風になびく秋草、そして雷神の裏には右の激しい雨に打たれる夏草と、対をなしています。

 

中央に余白をとった構図は、光琳の「風神雷神図屏風」を意識したものだとされています。

 

鈴木其一(すずききいつ) 1796〜1858年

 

江戸生まれで18歳で酒井抱一に入門し、鈴木家に養子に入り家督を継ぎます。

 

抱一の画風を熟知しており代筆も行ったと言われます。

 

抱一の没後は大胆な構図や明快な色彩を使うようになり、人気を集めました。

 

夏秋渓流図屏風(なつあきけいりゅうずびょうぶ)

 

 

このような色彩や写実的だけどフラットで現実味のない作品は、今までの日本絵画にはありませんでした。

 

彼の絵は奇妙なインパクトがあります。

 

まとめ

 

どうでしたか?

 

ほんとにいろんな個性豊かな絵師たちがいましたね。

 

この時代の特徴をまとめると。

 

  1. 江戸琳派の活躍!
  2. 京都画壇の南画!
  3. 浮世絵ブーム!
  4. 旅行ブームによる、風景画シリーズ大流行!

 

といった感じですね。

 

その時代の背景がわかるとより一層絵画を見るのが面白くなりますね。

 

最後まで読んでくれてありがとうございました。

 

ではまた別の記事でお会いしましょう。

 

mars
またね~

 

参考資料

 

 

 



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