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【プロト・ルネサンス美術】とは何?特徴は?画家達や作品を分かりやすく解説!

【プロト・ルネサンス】美術とは何?特徴は?画家達や作品を分かりやすく解説!



mars
どうもこんにちはマルスです。
みなさんルネサンスは、知ってますよね?
そう!あの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「ラファエッロ」「ミケランジェロ」の3代巨匠が活躍した時代です。
プロト・ルネサンスとはルネサンスの幕開けの時代の事を指します。
特徴としては、ルネサンスを準備する時代ですね。
今回はそんな、13世紀〜14世紀頃までのプロト・ルネサンスについて、分かりやすく説明していきたいと思いますね。

その前の時代の「ロマネスク美術とゴシップ美術」が気になる人は、こちらの記事を読んでね。

【シエナ派とフィレンツェ派】

13世紀〜14世紀のイタリアでは、貿易や繊維業、金融業で栄えて、芸術活動も盛んに行われていました。
絵画の世界では、最初の国民画家と言われる、ジュンタ・ピサーノが活躍した時代の後、ドウッチョやシモーネ・マルティーニなどによる、都市シエナを中心に活動したシエナ派」とチマブーエやジョットによるフィレンツェで活動したフィレンツェ派」に別れました。
シエナとフィレンツェは、お互いに山間部にあり、他の都市との交流がないので、それぞれ独自の美術様式が発展しました。
シエナ派は保守的で、装飾的な画風が特徴で神秘的で非現実的な絵が多い、一方フィレンツェ派は、シエナ派とは対象的に自然主義的で、感情的な画風でした。

【奇跡のサン・フランチェスコ大聖堂】

サン・フランチェスコ大聖堂は、聖フランチェスコの遺骨を納めるために建てられた教会です。
フランチェスコは23歳の頃に信仰心に目覚め、後にフランチェスコ修道会が誕生します。
武力を徹底的に否定し、祈りと奉仕と布教運動し、後に中世イタリアにおける最も有名な聖人の一人になります。
フランチェスコは40代半ばに死去、死後聖人になるには、通常は何十年もかかるとされるがフランチェスコはわずか2年で聖人になります。
「サン・フランチェスコ大聖堂内部」1228〜80年 アッシジ(イタリア)
サン・フランチェスコ大聖堂の装飾には、フィレンツェ、シエナ、ローマ、ピサなどの各地域から、大画家たちが集まりました。
美術史上でもこれほど大規模な共同作業はなく、フランチェスコがどれほどの大聖人だったかがわかりますね。

【人間に近づく!キリストの磔刑(はりつけの形)像】

イタリアでのキリストの磔刑像は、12世紀〜13世紀にかけて、表現の仕方が大きく変わります。
「サン・ダミアーノの磔刑像」12世紀末 サン・タキアーラ教会 アッシジ(イタリア)
上の磔刑像のキリストは、 目を見開きやや上を直視し、真っ直ぐと硬直した姿勢をとり、悲痛さはどこにも感じさせず堂々としています。
俗に「死に勝利したキリスト」と言われます。
フランチェスコがサン・ダミアーノ教会を訪れた時に、このキリストの磔刑像にボロボロになったこの教会を建て直すように」お願いされたと言う伝説は有名ですね。
そして13世紀に入るとジュンタ・ピサーノによって描かれた苦痛な磔刑像が誕生します。
「ジュンタ・ピサーノによる磔刑像」1250年頃 サン・ドメニコ教会 ボローニャ
顔は悲痛な表情で、身体はS字を描き全体的に苦しみが伝わってきます。
この頃からキリストの表現が「人間」らしくなって行くのですが、その大きな原因がフランチェスコにあります。
フランチェスコが全キリスト教徒に私達と同じ人間性と弱さを持った肉体を受け取られた」と伝えたためとされています。
その後50年ほどたつとさらに人間らしいキリストの磔刑像が、ジョットによって描かれます。
「ジョット・ディ・ボンドーネの磔刑像」1295年頃 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 フィレンツェ
ジュンタ・ピサーノの作品の影響を受け、さらに人間らしく描かれました。

【ルネサンスの父!ジョット】

16世紀後半に活躍した画家、伝記作家、ジョルジョ・ヴァザーリの著書にそれまでの洗練されていなかったビザンティン美術を徹底的に打ち壊し、現在見られるような現実味あふれる素晴らしい絵画をもたらした。200年以上にわたって忘れ去られていた絵画技術を現代に蘇らせた絵画である」とジョットを絶賛しています。
ジョット・デイ・ボンドーネ  「小鳥への説教」1290年頃 サン・フランチェスコ大聖堂(上堂) アッシジ(イタリア)
上の絵を見て分かるように、ジョットの絵は3次元的空間を見事に描かれています。
人物、木、鳥それぞれが自然な大きさで表現され、当時としては考えられなかった、革新的な描写方法です。
ジョット・デイ・ボンドーネ(1267頃~1337) 「聖フランチェスコの死」1325年頃 サンタ・クローチェ教会バルディ家礼拝堂 フィレンツェ
ジェットはそれまでの形式化した表現に、人間らしい感情的な表現方法を生み出しました。
彼は、ローマやアッシジなど各地を、弟子たちと旅し、各地で依頼され作品をのこして、その技術も広まりました。
しかしジェットについての記録は少なく、生年月日、生誕地、死没地、風貌、徒弟期間、作品の依頼主、など分かっていない事が多いですね。

【豪華絢爛!シエナ派国際ゴシック】

一方シエナ派は、フィレンツェ派のジェットなどのリアルな表現とは違い、きらびやかな豪華さや華やかさが特徴的です。
ドゥッチョがその最初の画家とされており、その影響を受け次に、マルティーニによって作風が確立されます。
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ (?〜1318項)「荘厳の聖母(マエスタ)」(部分) 1308〜11年頃 シエナ大聖堂付属美術館 (イタリア)
聖人や天使に囲まれた聖母子。多くの画家が描いているテーマ、その中でも最高峰の作品と言われています。
シモーネ・マルティーニ (1284項〜1344) 「受胎告知」 1333年 ウフィツィ美術館 フィレンツェ
マリアが神の子イエスを身ごもった事を、大天使ガブリエルが伝えに来る場面。
金箔を使い豪華絢爛な作品。
このような豪華な画風を「国際ゴシック様式」と呼ばれ、フランス、イタリア、ブルゴーニュなどの国際交流で生まれたため、19世紀にフランスの美術史家、ルイ・クラジョによって名付けられました。

【まとめ】

みなさんどうでしたか?
この時代の最大の特徴は、なんと言っても人間を人間らしく描くようになって行くところですよね。
現在の画風の基礎を創ったと言っても大袈裟ではないのでしょうか
では今回はこのへんで終わりたいと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

mars
またねー
参考資料



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