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ピエール=オーギュスト・ルノワール|印象派の画家|女性の美を追求|生涯と作品たちを解説

ピエール=オーギュスト・ルノワール|印象派の画家|女性の美を追求|生涯と作品たちを解説

 

mars
どうもこんにちは画家のマルスです。
今回は印象派の画家「ルノワール」の生涯と作品たちをわかりやす解説していきたいと思います。

ノース
ルノワールと言えば、女性の絵ばっかり描いてるから、女好きなイメージがあるだわさ。(´・ω・`)

mars
彼は女性ばかりモデルにしていたけど、けして女好きだからじゃないんだよ、純粋に美しいものを描くのが、楽しかったんだよ。

ノース
そうなのね、本当に絵を描くのが好きだったのね。

mars
今回はそんなルノワールを解説していくよ。
印象派のことを詳しく知りたい人は、こちらの記事を読んでみてね。⤵

「ルノワール」のおもしろエピソード

【ルノワール】絵付け職人から芸術家へ

 

ルノワールは、1841年2月25日、フランスのリモージュに生まれます。

その後3歳の時に、パリに移り住みました。

彼の父は仕立て職人で、母はお針子という労働者階級の家に生まれました。

13歳になったルノワールは、磁器工房の絵付け職人になり、すぐにその才能をあらわしましたが、産業革命の影響で工業化が進んだため、手仕事の需要がへり、仕事が無くなってしまいました。

工房の大先輩に「絵の道に進みなさい」と言われ、様々な絵を描く仕事につきます。

mars
紋章の絵写しをしたり、扇子に絵を描いたり、カフェの壁を装飾したり、色々なことをしたんだよ。

ノース
苦労人だわさ。( ´∵`)

 

そして1年分の生活費を貯めて、念願の美術学校へ入学します。

 

親友【モネ】と苦楽を共にした、青春の思い出

 

ルノワールは、実家で暮らしていました。

実家で食事をしたさいに、毎回その時に出てきたパンを、腹を空かしたモネに持って行ってやりました。

ノース
めっちゃ優しいだわさ。(٭°̧̧̧ω°̧̧̧٭)

 

ルノワールモネは、少しでもお金が入ると画材屋へ道具を買いに行きました。

2人は度重なるサロン落選にも、励まし合いながら頑張りました。

 

mars
後にルノワールは、「モネが励ましてくれなかったら正直もたなかった」と言ってたんだよ。

ノース
2人の友情に感動だわさ。(*꒦ິ⌓꒦ີ)

 

【アリーヌ】と結婚、長男【ピエール】誕生

 

ルノワールは結婚には消極的でしたが、いざ結婚してみると、結婚生活がすごく幸せだと感じました。

そして妻のアリーヌとの間に、長男ピエールが誕生しました。

 

mars
彼は結婚生活が幸せすぎて、その様子を絵に残してるんだよ。

ノース
ほんとに幸せだったのね。(^^)

作品名 「母と子」
製作年 1886年
所蔵 箱根芦ノ湖美術館、箱根

 

歩くことよりも絵を描くことを選んだ【ルノワール】

 

70歳を超えた頃に、長年患っていたリューマチの症状が悪化して、ついに1歩も歩けなくなってしまいました。

そこで、リューマチの最高権威の医者に見てもらったところ、2年前から歩けなかったルノワールが、奇跡的に歩けました。

しかし、歩くのに集中してかなりの体力がいるため、ルノワール歩くことを諦めました。

 

mars
彼は「こんなに歩くのに集中しなければならないのだと、絵を描く気力が無くなる、私は歩くより絵が描きたい」と言って、治療をやめたんだよ。

ノース
ほんとに絵を描くのが好きだったのね。(゚O゚)

 

晩年まで絵を描き続けた【ルノワール】

 

最初はルノワールの作品も、評価されませんでしたが、50歳頃から徐々に評判が上がっていき、晩年にはその人気は揺るぎないものになりました。

寒さがリューマチにこたえるため、南仏カーニュに広大な地所を購入したルノワールは、三男のクロードや遠縁の娘のガブリエルをモデルにした作品など、幸せに満ちた絵を多く残しています。

 

【ルノワール】の最期

 

1919年12月2日、夜8時、眠むっていたルノワールは、突然「パレットをよこしなさい、2羽の山しぎが・・・」とつぶやきました。

その後、深夜の2時に家族に見守られながら、おだやかな表情で息を引き取りました。

享年78歳でした。

 

ルノワールの作品集

 

作品名 習作「陽光の中の裸婦」
製作年 1875年
所蔵 オルセー美術館、パリ

 

mars
この作品は、彼が描いた作品の中で1番避難されたんだよ。
ある評論家に「このモデルは天然痘を患ったことがあらるのか?」と避難されたんだ。

ノース
女性の肌に斑点模様があるように、見えるからなのね。( ´∵`)

mars
そうなんだ、ルノワールは木漏れ日の光を表現しただけなんだけどね。

 

作品名 「水浴する金髪の少女」
製作年 1881年
所蔵 クラーク美術館、ウィリアムズタウン

mars
この作品は、最初の裸婦像から5年後に描かれたんだよ。

ノース
最初よりもだいぶ雰囲気が変わっただわさ。(^^)

 

作品名 「シャルパンティエ夫人と子供たち」
製作年 1878年
所蔵 メトロポリタン美術館、ニューヨーク

mars
この作品は、サロンで1番成功した作品なんだよ。
シャルパンティエ夫妻は、パリの社交界でかなり顔の利く、ブルジョワだったから、この絵の成功後は大勢のお金持ちから肖像画の依頼がくるようになったんだよ。

 

作品名 「舟遊びの昼食」
製作年 1880~81年
所蔵 フィリップス・コレクション、ワシントン

mars
この作品は、第7回印象派展に出品された作品だよ。
印象派の記念碑的作品なんだ。

 

作品名 「雨傘」
製作年 1881~85年
所蔵 ナショナルギャラリー、ロンドン

mars
ルノワールは、この頃から印象主義を突き詰めていった結果、長いスランプに陥ってしまうんだよ。

ノース
たしかに、ルノワールの特徴だった、柔らかい光や、優しい形や表情が無くなっただわさ。(゚O゚)

 

作品名 「ピアノの前の少女たち」
製作年 1892年
所蔵 オルセー美術館、パリ

mars
この頃から、また本来の自分の絵を取り戻したんだよ。
長いスランプだったけど、自分の絵を取り戻せてほんとに良かっただわさ。(^^)

まとめ

mars
どうでしたか、みなさん?
今回の記事で、ルノワールのことが少しでもわかってもらえるとうれしいです。

ノース
ルノワールは、友達思いで、心の底から絵を描くのが好きだったのね。

mars
こうして作者の人柄や、人生がわかると、その人の作品を見るのが、さらにおもしろくなるよね。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
ではまた別の記事でお会いしまょう。
またね~バイバイ

ノース
ばいなら
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