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【マニエリスム】ルネサンスの美に反する!マニエリスム美術とは何?その特徴は?画家達や作品達を解説!

【マニエリスム】ルネサンスの美に反する!マニエリスム美術とは何?その特徴は?画家達や作品達を解説!



mars
どうもこんにちはマルスです。
今回は16世紀半ば、イタリアの激動の時代に生まれた「マニエリスム美術」の記事を書いてみました。
マニエリスム美術はイタリアの激動の中で生まれ、その後フランスに渡るのですが、その時代背景や、どうしてそのような画風が生まれたのか、何故フランスに渡ったのか、活躍した画家などその疑問に答えていきたいと思います。
その前の時代の「北方ルネサンス美術」が気になる人は、この記事を読んでね。

【激動のイタリア】

ルターによる「95か条の論題」によって始まる宗教改革が起こり、1527年には神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世の軍勢がイタリアに侵攻し、ローマで暴虐のかぎりを尽くし、イタリアは混乱の時代へと突入します。
このような宗教改革や、戦争などの社会への不安感が、マニエリスム美術を生んだとされています。

【マニエリスム美術】の特徴!画家たちやその作品を紹介

これまでのルネサンス美術は、リアルな人体の動きや、遠近感がある空間表現、リアルな影のある色彩表現などでしたが、マニエリスム美術はポーズが入り組んでいたり、動きや色彩が誇張され、身体が大きくねじれていたりします。
このマニエリスム美術の始まりは、あのミケランジェロの「セルペンティナータ(蛇の身体のような・螺旋状の)」形状から受け継いでいます。

ジャンボローニャ

作者 ジャンボローニャ
作品名 「サビーニの女たちの奪略」
製作年 1581〜83年
所蔵 ロッジャ・ディ・ランツィ フィレンツェ
上の作品は、身体は大きくねじれ、どの角度からも見ることができます。
それまでの彫刻は必ず正面があり、このよな多方面から見られるところも、マニエリスムの特徴ですね。
この作品は、女性が町にいなかったローマのラテン人たちが、近郊の町サビーニから女性を略奪したと言う伝説の一場面ですね。

【難解な!アレゴリーの作品達!】

まずアレゴリーとは、抽象的なことがらを具体化する表現技法の事で、寓意とも言います。
マニエリスム美術の特徴として、難解で読み解けないアレゴリーがあります。

アーニョロ・ブロンツィーノ

作者 アーニョロ・ブロンツィーノ
作品名 「愛の寓意」
製作年 1545年頃
所蔵 ナショナル・ギャラリー ロンドン
上の絵の中央で口づけを交わしている二人は、恋人同士ではなく、ヴィーナスとクピドで母と息子で親子関係にあります。
わけがわかりません。
そして画面右にいるバラを持つ幼児は「快楽」を表し、その後の少女は「欺瞞」その上でカーテンを開ける「時の翁」によって画面左上に現れた仮面の女が「真実」で、その下の頭を抱える老婆が「嫉妬」これらは全て、概念を視覚化したもので「アレゴリー」と言います。
多くの研究者がこの絵の解釈を研究していますが、いまだに結論には達していません。

パルミジャニーノ

作者 パルミジャニーノ
作品名 「長い首の聖母」
製作年 1534〜39年頃
所蔵 ウフィツィ美術館 フィレンツェ
この上のパルミジャニーノの絵も、謎の多い作品です。
タイトル通り聖母の首や指は不自然に長い。
左の天使が持つ壺や、背景の巨大な円柱、右下の巻物を開く預言者はなぜ描かれているのか、いまだ謎の多い作品です。

【フォンテーヌブロー派による、独自のマニエリスム美術】

1494年から始まるフランスのイタリア遠征は、フランソワ一世まで継承され、経済力、軍事力ともにイタリアを圧倒し、さらに文化面までも追い越そうとします。
遠征途上で見たルネサンス美術に魅了されたフランソワ一世は、レオナルド・ダ・ヴィンチやロッソ・フィオレンティーノ、フランチェスコ・プリマティッチオなどの、イタリアの芸術家たちをフランスに招き入れ、他にもフランドルからも画家を集められました。
この時代イタリアの斜陽化は目に見えていたため、芸術家たちはフランスに渡ったと思われます。
そしてその画家達により、フォンテーヌブロー宮殿の装飾がなされ、フォンテーヌブロー派と呼ばれるようになります。
このようにイタリア美術とフランス地域様式とが混ざり合い、さらに宮廷人に好まれる優美さを取り入れた、独自のマニエリスム美術が生まれます。
フォンテーヌブロー派は、共同制作で作品に取り組んだため、作者の判別がつかない作品ご多い。

フォンテーヌブロー派の作品!

作者 フォンテーヌブロー派
作品名 「ガブリエル・デストレとその姉妹」
製作年 1594年頃
所蔵 ルーヴル美術館 パリ
上の絵は、右がフランス王アンリ4世の愛人ガブリエル・デストレで、左がガブリエルの姉妹。
ガブリエルはアンリ4世の子供を身ごもっており、姉妹が乳首をつまんでいるポーズは、初乳の出をうながす様子を表しており、長男の誕生または妊娠を記念したものだとされています。
この様式は、16世紀半ば〜17世紀前半まで続き、第一次と第二次とに分けられ、第一次がイタリアの芸術家がほとんどを占め、第二次がフランスの芸術家が中心になります。
その後、美術の中心はイタリアからフランスへと移ります。

【まとめ】

みなさんいかがでしたか?
マニエリスム美術は、宗教的にも社会的にも不安定なこの時代だからこそ、生まれた美術だと言う事がわかりましたね。
そしてルネサンス美術に反して、人工的な美を追求しましたね。
ではでは今回はこのへんでお別れしたいと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

mars
またね~
参考資料



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