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【エジプト・メソポタミア美術】を分かりやすく解説!美術の始まりってそんなに古いの?

【エジプト・メソポタミア美術】を分かりやすく解説!美術の始まりってそんなに古いの?



mars
どうもこんにちはマルスです。
みなさんは「美術っていつから始まったの?」と疑問に思った事はないでしょうか?
美術品って生活する上で、別にあってもなくても、こまらないのに、結構美術の歴史は古いんですよね。
美術の歴史とか、何故作られたのかを知っておくと、美術品を見るのが凄く楽しくなりますよ。
今回はそんな美術について、分かりやすく説明していこうと思います。
ちなみに「エジプト・メソポタミア文明の時代」とは、紀元前40世紀〜紀元前4世紀頃です。

【人類最古のシュメール文明】

メソポタミア地域に住んでいた人々の事を、シュメール人と呼んでいました。
人類の美術の歴史は、なんと僕達の祖先が木の実や魚を捕ったり、石を割って作った斧や槍で動物を追いかけ回していた頃から、すでに絵を描いていました。
泥で練った赤土を絵具に使って、住居として使っていた洞窟内に、動物や人間の絵を書いていました。
それは儀式的な意味があったのか、捕れた獲物の数など意味のあるものなのか、あるいは、制作意味をもたず、ただ純粋に目で見たものを楽しんで描いたのかもしれません。
しかし、いかなる理由があるにしろ、絵で表現するというのは、人間の本能だと言えるのではないでしょうか。
「泳者の洞窟」約1万年前、ギルフ・エル・ケビール付近(エジプト) 1933年にリビア砂漠でハンガリーの探検家によって発見された洞窟。泳いでいるような人の絵が描かれている。

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気持ち良さそうですね。
映画「イングリッシュ・ペイジェント」のロケ地で有名。

【西洋世界の文明の礎となった、メソポタミア文明とは?】

メソポタミアとはギリシャ語で「ふたつの河の間」を意味し、ティグリスとユーフラテスのニ大河の流域を指します。
現在のイラクの南半分にあたります。
かつては世界一の大河ナイルが、毎年氾濫していたため、河の栄養分が流域一帯の土俵に流れ込み、かなり豊かな土俵に恵まれていたそうです。
そのため紀元前4500年頃には、すでに都市文明が創られていました。
メソポタミア地域で、シュメール人の文明によって、創られた洪水伝説が、ギリシャ・ローマ神話や「旧約聖書」の中で書かれている「大洪水伝説」に多大な影響を与えたと言われています。
シュメール人は世界最古の楔形文字と言う文字文明を作り出した民族で、洪水伝説の伝播でも分かるように、西洋の文明の礎になったと言われています。
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「ウルのスタンダード」紀元前2500年頃の作品。ウルとは「イラク南部の事」スタンダードとは「軍旗」の意味。
「有翼人面牡牛像」北メソポタミアで紀元前900年頃から約300年栄えた、新アッシリアで、首都カルフ「現在のニムルド」の城門の門番。

【独裁国家で発展、エジプト美術とは?】

砂漠のイメージが強い、北アフリカのエジプト地域ですが、こちらの地域もメソポタミア地域同様、非常に肥沃な土地です。
農耕が古くから始まったので、早くから文明が栄えたと言われています。
エジプト地域はメソポタミア地域と違い、渓谷や砂漠などで、外敵が侵入しにくい地理的特徴があったので、独裁者の統治が続きました。
なのでメソポタミア地域のように、支配者が頻繁に変わる事がなく、特定の家系で王朝が引き継がれたので、美術の変化もあまりありません。
両地域の美術に対する考え方の決定的な違いは、メソポタミアでは「来世思考」があまり無いのに対して、エジプトでは死後の世界が信じられていたので、来世での生活に備え、豪華な副葬品を墓室に納められていました。
ピラミッドなどの巨石建造物は、集中権力の巨大さを表しています。
当時世界一の高さを誇った王の墳墓
「ギーザの三大ピラミッド」クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッド群。

【エジプト美術の考え方「来世思考」て何?】

エジプト人は来世の世界があると信じていました。
そのため、死体をミイラにして保存したり、来世で使うために、日用品や財産などを墓に納めていました。
しかし来世に行くには、旅の途中で数々の試練に打ち勝たなければいけませんでした。
そのためのガイドブック的な物が必要になり、「死者の書」が描かれました。
「死者の書」紀元前1300年頃(エジプト第19王朝)
「死者の書」には、試練事に対応する、192の呪文などが描かれている。
エジプト美術の特徴として、人物はすべて足と頭は横から、胴体は正面から描かれ、顔の表情などはほとんど無視されています。
これは携帯把握のしやすさからだと言われています。
この表現形式は、エジプト文明の長い期間、ほとんど変わる事がありません。

【神か人間かで変わる表現!何故?】

エジプト美術のほとんどの物が、動きを感じさせません。
あの有名な「ツタンカーメンの黄金のマスク」も動きを感じさせません。
「ツタンカーメンの黄金のマスク」紀元前1324年頃
動きを感じさせない描写によって、圧倒的権力を持つ、ファラオ(王)達を神格化させるためだと言われています。
だからこそきらびやかな黄金で、神々しく創られているんでしょうね。
例外もあります、アメンへテプ4世は今までとは違い、本物に近い形で妻の胸像を作らせました。
「王妃ネフェルティティ胸像」紀元前1350年頃
「ツタンカーメンの黄金のマスク」と比べても、明らかに動きがあり、人間らしく本物に近いですよね。
しかし、変化を作り出そうとしたアメンへテプ4世の死後すぐにまた、元の形式的な表現に戻ります。

【まとめ】

どうでしたか?
今回は美術の始まりにスポットを当てて、記事を書いてみました。
美術品を見るだけで、今から数千年も前の人々の生活や考え方が分かるなんて、不思議で神秘的ですよね?
みなさんも今回の記事を読んで美術の歴史に、興味を持ってもらえると嬉しいです。
ではまた別の記事で会いましょう。

mars
またねー
参考資料



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