西洋美術の始まり!【エーゲ・ギリシャ美術】特徴や作品達を分かりやすく解説!
みなさんは西洋美術っていつから始まったの?どうやってできたの?と、疑問に思った事はないでしょうか?
昔からある誰もが見ても、「見た事ある」と言う美術品など、知ってるけど「良さ」や「凄さ」がいまいちわからない、と言う方も多いのではないでしょうか?
美術品の歴史背景などを知ると、その美術品の「良さ」や「創られた意味」などが分かり、凄く見るのが楽しくなりますよ。
ではでは今回は、そんな西洋美術の基礎にスポットをあてて、記事を書いてみたので、もしよければ最後まで読んでみて下さい。
ちなみに「エーゲ・ギリシャ文明」の時代とは、紀元前30世紀頃〜紀元前1世紀頃までの事を指します。
その前の時代の「エジプト・メソポタミア美術」が気になる人は、こちらの記事を読んでね。
この記事の目次
【エーゲ海から始まる!3つの美術】
紀元前3000年頃から2000年頃まで、文明を築いていたエーゲ海。
エーゲ美術とは「キクラデス美術」「クレタ美術」「ミュケナイ美術」の総称を言います。
この3つの美術を時代の古い順に説明していきたいと思います。
【はじめに!キクラデス美術】
初期青銅器時代に、キクラデス諸島で発展した「キクラデス美術」は、極端に抽象化された石偶か有名で、1000体以上が確認されています。
「キクラデス石偶」紀元前2500年頃 アシュモレアン博物館、オックスフォード
特徴は、鼻以外は削ぎ落とされ、小さな乳房、つま先を下に向けられているところです。
素材は高価な、大理石が使われています。
墓の副葬品や宗教儀式にために、作られたのではないか、と言われています。
【2つ目!クレタ美術】
中期青銅器時代に、クレタ島で発展した「クレタ美術」。
クレタ島には、牛頭の怪物「ミノタウロスの迷宮」のモデルにもなった、豪華なクノッソス宮殿や、ファイストス、マリア、ハギア、トリアダなどの地域にも壮麗な宮殿が建てられた。
写真 クノッソス宮殿
もう一つの特徴として、クノッソス宮殿には、城壁などが無かった事から、宮殿を守る必要が無かったと思われています。
平和な統治がなされていたんですね。
クレタ文化は、宮殿文化とも言われています。
【最後に!ミュケナイ美術】
後期青銅器時代に、クレタ美術を受容して発展し、ペロポネソス半島に建てられたミケーネ城は、堅固な城壁をめぐらせた、王城。
クレタ島のクノッソス宮殿とは、正反対で、戦闘が絶えなかったのでしょうね。
また、墓に貴金属製品を副葬していた事も分かっています。
「アガメムノンのマスク」が有名ですね。
「アガメムノンのマスク」紀元前1500年頃 国立考古学博物館 アテネ
アガメムノンとはギリシャの伝説の英雄で、アガメムノンの死後に、死者の顔を覆って作られたとされています。
死者の顔を覆う行為は、エジプト文明の影響だと言われています。
その後ミュケナイ文明は、謎の終わりを告げます。
はっきりとは分かっていないのですが、謎の民族「海の民」の来襲により、滅ぼされたのではないかと言われています。
【西洋美術の基礎が作られた】
紀元前700年頃からギリシャは再び文化を繁栄させます。
その後の西洋美術の基礎となる「ギリシャ美術」のはじまりてすね。
「パルテノン神殿」紀元前447〜紀元前432年 アテネ
誰もが1度は見た事があるのではないでしょうか?
都市アテネの守護神、女神アテネを祀る「パルテノン神殿」です。
当時のギリシャは、各都市がポリスという小さな国家をなしていました。
人々は自分達のポリスの守り神を祀るために神殿を作ったのですね。
このような神殿建築に使われた、装飾や構成は西洋建築の基準となりました。
下で詳しく説明するのですが、彫刻ではアルカイック様式やクラシック様式。
絵画では陶器製の食器に描く、壺絵などの基礎ができます。
【壺絵ができた!】
紀元前11世紀中頃には、コンパスや定規などを使って、壺に直線や曲線などを組み合わせた、幾何学模様を描き始めます。
紀元前8世紀に入る頃には、人物や動物、植物模様なども描かれるようになりました。
エクセキアス(生没年不詳)黒像式アンフォラ、将棋を指すアキレウスとアイアース(部分)紀元前540〜紀元前530年頃 ヴァチカン美術館
そして、陶器の表面は凄く大事な画面だったようです。
使われる用途によって、描かれる内容が違っていました。
祭礼用には宗教的な、絵が描かれ、宴席ではペルセウスやヘラクレスなどの英雄の絵、化粧や香油入れなどの女性用品には、女神ビーナスなど女性らしいものが描かれました。
絵付師達は技法や表現力を競い合うようになり、作品に名前を残すようになる、画家名が多く残っているのも、この時代の特徴です。
【アルカイック美術とクラシック美術とは何?】
【アルカイック美術】
紀元前7世紀中頃から誕生した、「アルカイック美術」この時代に作られた裸体の男性像は、ギリシャ語で「クーロス」像と呼ばれた。
特徴として、両腕を胴体に付けて、片足を少し前に出し、体重を均等にかけた立ち位置をしています。
顔の表情は少し笑っているように見え「アルカイック・スマイル」と呼ばれます。
「アナヴュソスのクーロス」紀元前530年頃 国立考古学博物館、アテネ
当時の人達は「神は人間と同じ形をしている」と考えていたので、現在残っているクーロス像は、神と人間のどちらの像なのか分かっていない。
アルカイック美術は2000年ほど続きました。
【クラシック美術】
その後直立不動で動きがあまりなかったアルカイック期から、自然な立ち姿「コントラポスト」のクラシック期に変わります。
「コントラポスト」とはイタリア語で「対置」を意味します。
特徴として片足に重心をかけるので、自然と身体がS字を描くポーズになる事です。
身体の重心が自由になった事で、顔や腕の動きが表現できるようにもなりました。
そのためアルカイック・スマイルは徐々になくなりました。
「ベルヴェデーレのアポロン」ギリシャ時代の原作に基づく模刻 2世紀頃 ヴァチカン美術館(ピオ・クレメンティーノ美術館)
この時代の彫刻達は、かなり動きが出てきましたがまだ一定の方向からしか、見られる想定をしていませんでした。
【ヘレニズム美術とは?】
紀元前334年のアレクサンドロス大王の東方大遠征で、小アジア(現トルコ)、シリア、エジプト、メソポタミアなどを支配して、ギリシャ世界は急速に拡大しました。
この頃民主的な都市国家は専制君主国家に変わり、アレクサンドロス大王の像が作られます。
そのため神々だけでなく王や個人のための美術がうまれ、大衆化されました。
アレクサンドロス大王の東方大遠征の頃から300年ほどを「ヘレニズム美術」と言われ、凄く動きがあるのが特徴で、多方向から見られる事を意識された表現によって、空間的な広がりをみせます。
「ミロのヴィーナス」紀元前2世紀末 ルーヴル美術館、パリ
「ラオコーン」紀元前40年〜30年頃 ヴァチカン美術館(ピオ・クレメンティーノ美術館)
この様式は後のマニエリスムやバロックの彫刻にも影響をあたえました。
特に「ラオコーン」はヘレニズム彫刻を代表する作品で、あのミケランジェロなど多くの芸術家に大きな影響をあたえました。
【まとめ】
どうでしたか?
パターン化された誰もが作れるような儀式的な作品から、人々に見せる大衆的な作品が作るようになるまでの変化が面白いですね。
作品の時代背景を知ると、作品に深みがでて凄く面白いですね。
今回はエーゲ・ギリシャ美術を記事にしたのですが、かなり簡単に説明したため、詳しく知りたい方は、本などで調べてみてください。
最後まで読んでくれてありがとうございます。