【画家紹介】3分でまるわかり|マネの人生と絵画をかんたん解説
mars
どうもこんにちは画家のマルスです。
今回の記事を読むと、画家のエドゥアール・マネの人生や考え方、彼の作品のことなどが分かるよ。
今回の記事を読むと、画家のエドゥアール・マネの人生や考え方、彼の作品のことなどが分かるよ。
ノース
画家のことがわかると、その人の作品を見るのがもっとおもしろくなるだわさ( ´ ▽ ` )
印象派のことが知りたい人は、こちらの記事を読んでね⤵
この記事の目次
「マネの生い立ち」生まれてから画家になるまで
名門校「コレージュ・ロラン」入学
マネは、 1832年にパリの中心部で高級官僚の息子として生まれます。
父親はマネを法律家にさせようと思い、 マネを名門学校に通わせていましたが、成績はひどいものでした。
mars
マネは成績は悪かったけど、デッサンはうまかったんだよ。
ノース
「天は二物を与えず」だね。(^ ^)
水兵を志し、リオ・デ・ジャネイロ行きの実習船に乗り込む
なんとか学校を卒業しましたが、 画家志望のマネと法律家になってほしい父親は、 折り合いがつきませんでした。
マネは突然水兵を志し、約1年のリオ・デ・ ジャネイロ行きの船に乗り込みました。
しかし帰って来てから受けた、 海軍兵学校の試験に見事に落ちました。
ノース
勉強がほんとに嫌いなのね。
画家の夢を捨てきれない息子に父親もついに折れ、 画家になることを認めました。
マネの【おもしろエピソード4選】
エピソードその①作品「オランピア」で大騒ぎ!
作者 マネ
作品名 「オランピア」
製作年 1863年
所蔵 オルセー美術館、パリ
サロンに入選した作品「オランピア」が展示されるやいなや、 罵倒の嵐でした。
その原因は裸体の女性が女神や聖女ではなく、 娼婦だったことにあります。
mars
この作品を破壊しようとする人までいたんだ。
でも守衛がいたので作品は無事だったんだよ。
でも守衛がいたので作品は無事だったんだよ。
ノース
絵を描くのも命懸けだわさ。(・ω・;|||
エピソードその②粋な贈り物をする「マネ」
マネは「1束のアスパラガス」の絵を、 マネが付けた値段より高く買ってくれた紳士に、 お礼状と共に1本のアスパラの絵を送りました。
作者 マネ
作品名 「1束のアスパラガス」
製作年 1880年
所蔵 ヴァルラフ=リヒャルツ美術館、ケルン
作者 マネ
作品名 「アスパラガス」
製作年 1880年
所蔵 オルセー美術館、パリ
mars
マネは「1本抜け落ちてました」と書き添えて、送ったんだよ。
ノース
すごい男前だわさΣ(・艸・*)
エピソードその③熱い男マネ
ある日マネは友人のデュランティと衝突して、 決闘することになりました。
しかし、2人とも決闘のやり方を知らなかったため、 むちゃくちゃに取っ組みあったため、 剣はぐにゃぐにゃになってしまいます。
バカバカしくなった2人は、前よりも親しい友人になりました。
ノース
画家とは思えないほど激しいだわさ。Σ(・ω・;|||
エピソードその④貧乏なモネを影で助けるマネ
1875年頃、 モネは貧乏でどうにもならない状態に陥っていました。
そこでマネは、友人に「モネに買い手が見つかったと言って、 2人でお金を出し合ってモネの作品を買ってやらないか?」 と持ちかけました。
しかし友人には断られて、1人でモネの作品を買ってあげました。
マネの早すぎる死
マネは、16歳の時に渡ったリオ・デ・ジャネイロで、 梅毒に感染しました。
その梅毒が40代で発症して、左足に痛みを感じていました。
最後の大作「フォリー=ベルジュールのバー」 を完成させた翌年のことでした。
作者 マネ
作品名 「フォリー=ベルジェールのバー」
製作年 1881~82年
所蔵 コートールド美術研究所、ロンドン
壊死した左足を切断しましたが、そのかいもなくマネは、 51歳という若さでこの世を去りました。
その知らせを受けたモネは、 引越し先のジヴェルニーに着いたばかりでしたが、 荷解きもせずにパリ行きの列車に飛び乗ったと言います。
みんなに慕われていたマネの葬儀には、 党派を越えた芸術家が大勢参列しました。
モネの頑張りでマネの作品「オランピア」がルーヴル美術館へ
モネはマネの作品「オランピア」が1889年に、 アメリカに売却されるかもしれないという知らせを聞き、 それを阻止しようと立ち上がりました。
モネは募金を集め、マネの未亡人から「オランピア」 を買い上げます。
その「オランピア」を、 ルーヴル美術館に展示することを条件に国に寄与すると、 美術総監宛に何通も手紙を書きました。
しかし国はなかなか受諾しませんでしたが、 最終的にモネが折れて、 リュクサンブール美術館に展示することで決着しました。
そしてその18年後、ついにルーヴル美術館入を果たしました。
mars
現在はオルセー美術館にあるよ。
マネの作品を紹介
作品名 「草上の昼食」
製作年 1863年
所蔵 オルセー美術館、パリ
mars
この作品は古典的名画のもじりで、大批判を受けたよ。
元ネタはこちら↷
作者 ライモンディ
作品名 「ラファエロのパリスの審判による銅版画」
製作年 1525年頃
所蔵 国立図書館、パリ
作品名 「バルコニー」
製作年 1868~69年
所蔵 オルセー美術館、パリ
mars
主役が誰なのか、誰が見ても分かるように描かれているよ。
作品名 「笛を吹く少年」
製作年 1866年
所蔵 オルセー美術館、パリ
mars
この作品は背景のない空間に少年だけを描くという、画期的な手法で描かれたんだよ。
そして日本の浮世絵の影響も受けているんだ。
そして日本の浮世絵の影響も受けているんだ。
まとめ
mars
どうでしたかみなさん。
マネがどのような人物か分かったのではないでしょうか。
マネがどのような人物か分かったのではないでしょうか。
ノース
作者の人生や考え方がわかると、その作品を見るのが楽しくなるだわさ。('∀`)
mars
最後まで読んでくれてありがとうございました。
また別の記事でお会いしましょう。
またね~バイバイ
また別の記事でお会いしましょう。
またね~バイバイ
ノース
ばいなら
参考書籍