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【ミケランジェロ】なぜ神のごときと呼ばれたのか?その生涯と作品を分かりやすく解説!

【ミケランジェロ】なぜ神のごときと呼ばれたのか?その生涯と作品を分かりやすく解説!



mars

どうもこんにちはマルスです。

今回はミケランジェロの人生や、作品について僕なりに簡単で分かりやすく説明していきたいと思います。
本名は「ミケランジェロ・ブオナローティ」レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロと並ぶ、イタリアルネサンス期の三大巨匠の一人ですね。
ミケランジェロの性格は、気難しくて短気で社交的ではなかったのでようですね。
そのため生涯孤独な人生を送ったとされています。

【ミケランジェロの生い立ち】

1475年にイタリアのカプレーゼで生まれ、学問の道に進んで欲しかった父親の進めを押し切り、13歳でギルランダーイオの工房に弟子入りします。
「神のごとき」と称されたミケランジェロは、その才能を発揮して、わずか1年でメディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコに才能を見いだされ、フィレンツェのメディチ家宮殿に呼ばれます。
メディチ家とは、当時のフィレンツェを支配していた貴族の大富豪で、ミケランジェロはメディチ家宮殿で暮らすようになります。
ちなみにこの時、嫉妬した他の弟子に殴られて鼻が曲がったと言うエピソードがあります。
それほど才能があったんですね。

【神のごとき才能で一躍名声を高める】

ロレンツォの死後、ミケランジェロは各地を転々とし、24歳の時にフランス人の枢機卿から注文を受けた、彫刻「ピエタ」によって一躍名声を高めます。
作者 ミケランジェロ・ブオナローティ
作品名 「ピエタ」
製作年 1498〜1500年
所蔵 サン・ピエトロ大聖堂
「ピエタ」とは、死せるキリストを聖母マリアが抱いて、悲しんでいる場面を表す図像です。
この彫刻は当時「奇跡の彫刻だ」とも言われ、大絶賛されました。

【最高傑作を次々に制作】

その後あの有名な「ダビデ」像や、ローマ教皇ユリウス二世の依頼で、システィーナ礼拝堂の天井に描かれた「天地創造」「最後の審判」など奇跡の大傑作を創り上げます。
作者 ミケランジェロ・ブオナローティ
作品名 「ダビデ」
製作年 1501〜04年
所蔵 アカデミア美術館 フィレンツェ
ミケランジェロは、古代彫刻を独学で研究して、独自の彫刻技術を見に付けました。
ダビデ像は26歳の頃から制作し、3年かかったと言われます。
高さは土台も入れると、6mを超えるため下から見上げられる事をお想定し、頭部は身体に対して少し大きめに造られています
目がハート型にくり抜かれているのも特徴で、光や立体感の表現のためだとされています。
徹底的に計算され尽くして造られていたんですね。
作者 ミケランジェロ・ブオナローティ
作品名 「天地創造」
製作年 1508〜12年
所蔵 システィーナ礼拝堂 ヴァチカン
ローマ教皇ユリウス二世に依頼され、システィーナ礼拝堂に、この時代を代表する芸術家たちが、内装の装飾絵画を手掛け、教会内装全体でローマカトリック教会の教義を描き出す、大プロジェクトが始まり、ミケランジェロは上の天井画を描きました。
4年かけて一人で描き上げ、柱などを描き込んで画面を区分させ、旧約聖書の創世記の9場面が描き込まれています。
この天井画なんと広さが、14m✕40.5mあり、しかも高さが20m、この超大作を一人で描いたなんて凄すぎますよね?
描き終わった頃には彼は首や腰、目を痛めたと言われています。
彼は生前「私は彫刻家であって画家でわない」と言っていましたが、これほどの絵画を造り上げるところはまさに、「神のごとき」ですね。
その後天井画が完成してから25年後に、この同じシスティーナ礼拝堂の祭壇壁画を任され、60歳から描き始めます。
それがあの有名な「最後の審判」です。
作者 ミケランジェロ・ブオナローティ
作品名 「最後の審判」
製作年 1536〜41年
所蔵 システィーナ礼拝堂 ヴァチカン
なんとこの絵、高さ14m横幅14mと言うでかさ。
詩人のゲーテはこの作品について、「一人の人間の成し得る偉業の大きさを知りたければ、この絵の前に立つがいい」と言ったといいます。
中央のキリストから向かって左側は、天国に昇天して行く人々で、右側が地獄に落ちて行く人々を描いています。
その人々の数がなんと400人!個々の身体をねじれさせたりして描かれ「マニエリスム様式」と言われる彼が発明した様式が使われています。

【建築家としての才能を発揮させる】

その後サン・ピエトロ大聖堂のクーポラや、サン・ロレンツォ聖堂のメディチ家新礼拝堂の建設などを手掛けます。
「サン・ピエトロ大聖堂」 ヴァチカン
1506年に建設家ドナート・ブラマンテが造営主任となって改修工事が始まり、その後ラファエロやミケランジェロが造営主任となります。
大聖堂のクーポラは、ミケランジェロが設計し、彼の死後1593年に完成、このクーポラはその後教会建築の手本となります。
彼は亡くなる直前までノミをふるったとされ、88歳でこの世を去ります。
まさにこの時代の巨人ですね。

【まとめ】

みなさんいかがでしたか?
彼は彫刻だけでなく、絵画や建築の世界でもその神がかった才能を、大いに発揮しましたね。
ちなみに彼はラファエロやダ・ヴィンチの死後、40年生き続け、その後のバロックにも多大な影響を与えます。
まさに「神のごとき」がしっくりくる人物でしたね。
今回の記事がみなさんの役に立つと嬉しいです。
では今回はこのへんで。

mars
またねー
参考資料



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