
ピエール=オーギュスト・ルノワール|印象派の画家|女性の美を 追求|生涯と作品たちを解説
今回は印象派の画家「ルノワール」の生涯と作品たちをわかりやす解説していきたいと思います。
この記事の目次
「ルノワール」のおもしろエピソード
【ルノワール】絵付け職人から芸術家へ
ルノワールは、1841年2月25日、フランスのリモージュに生
その後3歳の時に、パリに移り住みました。
彼の父は仕立て職人で、母はお針子という労働者階級の家に生まれ
13歳になったルノワールは、磁器工房の絵付け職人になり、すぐ
工房の大先輩に「絵の道に進みなさい」と言われ、様々な絵を描く
そして1年分の生活費を貯めて、念願の美術学校へ入学します。
親友【モネ】と苦楽を共にした、青春の思い出
ルノワールは、実家で暮らしていました。
実家で食事をしたさいに、毎回その時に出てきたパンを、腹を空か
ルノワールとモネは、少しでもお金が入ると画材屋へ道具を買いに
2人は度重なるサロン落選にも、励まし合いながら頑張りました。
【アリーヌ】と結婚、長男【ピエール】誕生
ルノワールは結婚には消極的でしたが、いざ結婚してみると、結婚
そして妻のアリーヌとの間に、長男ピエールが誕生しました。

作品名 「母と子」
製作年 1886年
所蔵 箱根芦ノ湖美術館、箱根
歩くことよりも絵を描くことを選んだ【ルノワール】
70歳を超えた頃に、長年患っていたリューマチの症状が悪化して
そこで、リューマチの最高権威の医者に見てもらったところ、2年
しかし、歩くのに集中してかなりの体力がいるため、ルノワールは
晩年まで絵を描き続けた【ルノワール】
最初はルノワールの作品も、評価されませんでしたが、50歳頃か
寒さがリューマチにこたえるため、南仏カーニュに広大な地所を購
【ルノワール】の最期
1919年12月2日、夜8時、眠むっていたルノワールは、突然
その後、深夜の2時に家族に見守られながら、おだやかな表情で息
享年78歳でした。
ルノワールの作品集
作品名 習作「陽光の中の裸婦」
製作年 1875年
所蔵 オルセー美術館、パリ
ある評論家に「このモデルは天然痘を患ったことがあらるのか?」と避難されたんだ。
作品名 「水浴する金髪の少女」
製作年 1881年
所蔵 クラーク美術館、ウィリアムズタウン
作品名 「シャルパンティエ夫人と子供たち」
製作年 1878年
所蔵 メトロポリタン美術館、ニューヨーク
シャルパンティエ夫妻は、パリの社交界でかなり顔の利く、ブルジョワだったから、この絵の成功後は大勢のお金持ちから肖像画の依頼がくるようになったんだよ。
作品名 「舟遊びの昼食」
製作年 1880~81年
所蔵 フィリップス・コレクション、ワシントン
印象派の記念碑的作品なんだ。
作品名 「雨傘」
製作年 1881~85年
所蔵 ナショナルギャラリー、ロンドン
作品名 「ピアノの前の少女たち」
製作年 1892年
所蔵 オルセー美術館、パリ

まとめ
今回の記事で、ルノワールのことが少しでもわかってもらえるとうれしいです。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
ではまた別の記事でお会いしまょう。
またね~バイバイ