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【新古典主義&ロマン主義】美術の特徴や違いは?この時代の有名画家や絵画を紹介!

【新古典主義&ロマン主義】美術の特徴や違いは?この時代の有名画家や絵画を紹介!



mars
どうもこんにちはマルスです。
今回は18世紀後半〜19世紀前半の「新古典主義」と「ロマン主義」の美術や絵画にスポットを当ててみました。
この時代の絵画の背景や画家たちの説明を分かりやすく簡単に説明していきたいと思います。
その前の時代の美術が気になる人は、この記事を読んでね。

【ロココの終わりと新古典主義の始まり】

1789年に勃発したフランス革命は、ロココの象徴とされる貴族文化の終わりを告げます。
ロココ美術に興味がある人は、こちらの記事を読んでね。
優雅なロココ様式は人々の不満の声とともになくなり、イタリアルネサンスの古典主義を復活させると言う動きが始まります。
その始まりと言われるのが、1738年に開始されたヘルクラネウムやポンペイなどの古代都市の発掘です。
これにともない、ドイツの考古学者ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンが古代美術を称賛する本「ギリシャ芸術模倣論」を出版し、版画ではピラネーシによる古代都市をモチーフにした版画が大流行します。
こうしてヨーロッパでは、ルネサンス以来の古代ブームが起こり、これを新古典主義と言います。

【理性より感性!ロマン主義】

新古典主義より少し遅れて登場するのが「ロマン主義」で、18世紀後半の産業革命で急速に発展、近代化していくヨーロッパ社会への反発から生まれます。
ロマン主義の特徴として、個人の感情や感性に重点を置く表現ですね。

新古典主義&ロマン主義の画家やその作品たち!

【新古典主義の先駆者!ダヴィッド】

18世紀半ば、ダヴィッドは古典芸術に心を奪われ、当時流行していたロココ様式から脱却します。
彼の描く作品は、王政に忠誠を誓う美徳を称賛する精神性を持った作品が多く描かれました。
そのため彼の絵は、革命政府たちに目を付けられ、革命のプロパガンダ(宣伝)に使われるようになっていきます。
作者 ジャック・ルイ・ダヴィッド
作品名 「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」
製作年 1806〜07年
所蔵 ルーヴル美術館、パリ
上の絵は縦6m、横9mの大画面に描かれています。
王冠を授けるのは本来ローマ教皇や大司教の役目なのですが、大胆にもナポレオンは自分で皇后となるジョゼフィーヌに王冠を授けようとしています。
そうすることで、自信の権威を世界中に知らしめたと思われます。
彼は、皇帝となったナポレオンの首席画家となるのですが、ナポレオンの失脚に伴い亡命することになります。

【ロマン主義!ジェリコー】

ジェリコーは実際に起きた事件を取材した作品を描き、それがロマン主義と言われます。
その最初の代表される作品が下の「メデュース号の筏」です。
作者 テオドール・ジェリコー
作品名 「メデュース号の筏」
製作年 1819年
所蔵 ルーヴル美術館、パリ
この上の絵は、漂流中、遠くに見えた戦艦に必死に助けを求める場面ですね。
この絵は、実際に起こった事件が主題で、軍艦が座礁して乗っていた147人が、急ごしらえの筏で13日間漂流した、生き残ったのはわずか15人だけです。
発見されるまでの間に、疫病の流行と餓死者でそのほとんどの人が亡くなり、食人までもが行われていました。
彼は悲惨な事件を事細かに取材し、死や苦悩、不安といった人間の「負の精神」を題材にし、いままでの「美しいものこそが芸術」というそれまでの前提をくつがえしました。
彼は迫真のある画風を求めて、死体のスケッチをしていました。

【新古典主義とロマン主義!2大潮流の完成!アングルとドラクロワ】

新古典主義とロマン主義、19世紀の芸術の中心に並ぶ二つの様式を完成に導いたのが、アングルとドラクロワの二人です。
作者 ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル
作品名 「ホメロス礼賛(ホメロスの神格化)」
製作年 1827年
所蔵 ルーヴル美術館、パリ
上の絵は、新古典主義の王道に根ざした作品で、古代ギリシャの詩人ホメロスを祝福する45人ほどの人々を見事なシンメトリー(左右のつりあいがとれている)描いています。
このような画面構成は、ルネサンス時代に多用されました。

ロマン主義!ウジェーヌ・ドラクロワ

作者 ウジェーヌ・ドラクロワ
作品名 「7月28日 民衆を導く自由の女神」
製作年 1830年頃
所蔵 ルーヴル美術館、パリ
一方ロマン主義のドラクロワの上の絵は、新古典主義とは正反対の表現を求めました。
この作品は、敵軍に宮殿を包囲された古代アッシリア王が、臣下に命じて寵姫(お気に入りの侍女)を殺害させている悲劇の場面です。
左奥では、王がその光景を平然と見ています。
彼の作品は、形態をはっきりした線で描かず、明暗を付けた鮮やかな色彩表現によって描かれています。
このような技法は、あのピカソにも影響を与えました。

修学旅行!グラン・ツアー

17世紀初め、オランダと並んで大航海時代をむかえていたイギリスは、多くの植民地を獲得し、ヨーロッパでも一、二を争う大国に成長していました。
しかし経済大国となっても、芸術の分野では他の国のように、大芸術家が現れていませんでした。
そこでイギリスの富裕層たちは、子供を文化的先進国へ留学させることで、教養を持たせようと「グラン・ツアー」と呼ばれる大掛かりな修学旅行を始めます。
多くの旅行者たちは、建物を中心とした「都市景観画」を購入しました。
当時はまだ写真などがなかったため、記念写真の代わりとして人気でした。
作者 カナレット
作品名 「キリスト昇天祭の日の御座船の帰還」
製作年 1733〜34年頃
所蔵 ロイヤル・コレクション ウィンザー、イギリス
上の絵は、キリストの昇天祭の日の、敵国に対する勝利を記念した祝典の様子を描いています。
写真のように凄くリアルですね。
彼は生涯、故郷の風景を描き続けました。

完璧主義!アカデミズム

「アカデミズム」とは、アカデミーが考えた教育方針の事を言います。
規範としたのが個展芸術の完成者とされる、ラファエロの様式です。
アカデミーでは特に人物描写に力が注がれ、解剖学や人体デッサンが重視されたため、絵画は「歴史画」「神話画」「肖像画」最後に「風景画」と「風俗画」という順番で序列が徹底されます。
作者 ウィリアム・アドルフ・ブグロー
作品名 「ヴィーナスの誕生」
製造 1879年頃
所蔵 オルセー美術館 パリ
上の絵の作者、ブグローは解剖的な正しさと写実力、官能的で美しい人物表現を得意としていました。
この絵のヴィーナスのポーズは解剖的な正しさに沿って描かれています。
このようなアカデミズムが盤石になるほど、表現の自由度が無くなっていき、個性を奪ってしまい、19世紀半ばには「保守的」と同じいみで使われるようになります。

この時代の時代背景から生まれた画家や作品たち!

【東洋?シノワズリー・オリエンタリズム】

18世紀のフランスでは、中国やトルコへの関心が高まり、異国をモチーフにした作品が描かれるようになりました。

フランソワ・ブーシェ

作者 フランソワ・ブーシェ
作品名 「中国庭園」
製作年 1742年頃
所蔵 ブザンソン美術館、フランス
この上の絵は、モチーフこそ中国風ですが、どこか誤解が含まれているところもあり、遠い異国の情景はあまり正確ではなかったようですね。
18世紀後半にナポレオンによるシリア・エジプト遠征が行われて、19世紀に入ると西洋の異国趣味はイランやイスラエルなどの中近東を中心とする「オリエンタリズム」が中心となります。

ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル

作者 ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル
作品名 「グランド・オダリスク」
製作年 1814年 ルーヴル美術館、パリ
上の絵は、イスラム君主のハレムに仕える寵姫(愛妾)をモチーフにした裸体画。
異国風の小物や装飾品などが描かれています。
一方でその胴体や腕は、不自然に伸ばされ人体把握については解剖学的におかしいですね。

【まとめ】

みなさんいかがでしたか?
18世紀後半〜19世紀前半のフランスで生まれた、古代ブームでできた新古典主義と理性よりも感性を重んじたロマン主義。
そしてイギリスでもてはやされた都市景観画。

アカデミズムの方針に習った正確で完璧な裸婦像画。

異国を情景を取り入れたシノワズリーとオリエンタリズム。
本当に色々な個性あふれる画風が誕生しましたね。
こうして西洋美術の時代背景が分かると、作品を見るのも楽しくなってきますよね。
では今回はこのへんでお別れしたいと思います。

またねー
参考資料



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