今回は「印象派」の芸術家たちが、生まれるきっかけとなった「 先駆者」にスポットライトを当ててみました。
その先駆者たちにはどのような芸術家がいたのか、 その時代背景や何故多大なる影響を与えるようになるのかなど、 分かりやすく簡単に説明していきたいと思います。
この記事の目次
【印象派とは何?】
印象派とは19世紀後半のフランスで始まる「芸術運動」のことで、その当時の国家主催の大規模公募展(サロン) の審査基準に疑問を持
ったことにより起こった運動です。
名前の由来はクロード・モネの作品の「印象・日の出」 に由来します。
【印象派にいたる先駆者たち】
急速に近代化が進む19世紀のヨーロッパでは、 美術の分野でも新しい価値観や表現方法が生まれていきます。
この転換期にほかのどの様式にも属さないで、 独自の表現を模索した画家たちを紹介しますね。
【今までにない風景画!ターナーとコンスタンブル】
いままでの風景画の常識を破ったのが、イギリスの風景画「
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
作者 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
作品名 「雨・蒸気・スピードグレート・ウェスタン鉄道」
製作年 1844年
所蔵 ナショナル・ギャラリー、ロンドン
上の絵は、彼の最高傑作で、 この絵は汽車が目の前を疾走していく瞬間を描いています。
19世紀の最先端技術だった鉄道を主題に選んだ事自体新しいので すが、それよりもこの表現方法は革新的でした。
彼は水彩を巧みに使いこなし、 線で描かず色彩による表現方法を使い、動きを取り入た光や蒸気、 水といった流動的なものを得意としました。
一方コンスタブルは、ターナーのような「動き」は取り入れず、 ただただ静かなイギリスの風景を描き続け、その価値を広めます。
ジョン・コンスタブル
作者 ジョン・コンスタブル
作品名 「干し草車」
製作年 1821年
所蔵 ナショナル・ギャラリー、ロンドン
当時「歴史的風景画」が評価される時代で、 歴史的偉人や神話の登場人物も描かれていない、 上の絵のような何のメッセージ性もない風景画は、 最初は評価されませんでしたが、次第に「 ありのままに描かれた風景」 にも芸術的価値があることが広まり始めます。
【人と自然の融合!ミレー】
作者 ジャン・フランソワ・ミレー
作品名 「落穂拾い」
製作年 1857年
所蔵 オルセー美術館、パリ
上の絵の中央に描かれた3人の農婦たちはこの土地で働く農民では なく、 稲の刈り入れが終わった後の落ちている穂を拾い集めている様子て す。
当時の農婦たちは、 その日に食べるパンの確保さえ苦労するほど貧しい生活をおくって いました。
画面右奥に見える馬に乗った紳士が、 労働者たちを監視しています。
それまでは人物画と風景画を区別していた西洋美術でしたが、 彼は自然の中で働く人々や日常生活に溶け込んだ自然の姿を描きま した。
【ありのままを描く!クールベ】
当時のアカデミーでは、「美しさ」の定義が決められており、 画家たちはその定義に従って描かれていましたが、 クールベはそのルールに反旗をひるがえしました。
作者 ギュスターヴ・クールベ
作品名 「水浴の女」
製作年 1853年
所蔵 ファーブル美術館、モンペリエ(フランス)
上の絵の女性の脂肪やシワはやけに生々しく描かれています。
彼は見たものを美化せずありのままを描きました。
こうした作風はサロン(公募展)で大不評を買いますが、 彼はあえて反発します。
【社会問題を描く!ドーミエ】
19世紀新聞や雑誌が次々に創刊されると、 絵には情報を伝えるメディアとしての役割が生まれます。
ドーミエは風刺新聞の挿し絵画家として活動し、 常に弱者たちの姿を描きました。
作者 オノレ・ドーミエ
作品名 「三等客車」
製作年 1862〜64年頃
所蔵 メトロポリタン美術館、ニューヨーク
上の作品は、三等客室に詰め込まれて座っている乗客たちと、 同じ列車でありながら、 富裕層が利用する優雅な一等客室を描いています。
彼は格差社会の現実を指摘するような絵を多く残し、 時には王政批判で投獄せれたりもしました。
【まとめ】
みなさんいかがでしたか?
この時代アカデミーの規範からはみ出した画家たちが多く活躍しま したね。
彼らの作品は最初は当然のように売れませんでしたが、 次第に中小階級の人々に人気が出始めます。
こうして印象派の基礎が作られました。
ではでは今回の記事はこのへんで終わりたいと思います。
また別の記事でお会いしましょう。
mars
またねー
参考資料