【新印象派と後期印象派】違いとは何?特徴は?その時代背景と画家や絵画作品を解説!
今回は「印象派」を超える新たな芸術を模索した画家たちの「後期印象派」と、印象派から離れようとする一方で、印象派の技法を受け継ぐ「新印象派」の画家たちやその考え方を、分かりやすく簡単に説明していきたいと思います。
「印象派美術」が気になる人は、こちらの記事を読んでね。
この記事の目次
【新印象派と後期印象派】の画家やその作品たち!
【後期印象派!ゴーガン、ゴッホ、セザンヌ!】
後期印象派は、1880年半頃から1890年代にかけて活動し、ゴーガンやゴッホ、セザンヌはその代表的な画家で20世紀の芸術にも多大な影響をあたえます。
ゴーガンとゴッホ、彼ら二人は1888年に南フランスのアルルで共同生活を送りますが、衝突が絶えずわずか二ヶ月で同居は解消されます。
ゴーガンは、西洋文明のおよばない原始的な世界に理想を見いだし、土着の文化が残るフランス北西部のブルターニュ地方を好み、晩年は南太平洋のタヒチに移住します。
ポール・ゴーガン
作者 ポール・ゴーガン
作品名 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々ははどこへ行くのか」
製作年 1897〜98年
所蔵 ボストン美術館
彼の作品は、実際の風景と空想の世界を同士に描く「総合主義」が特徴で、上の絵は南国タヒチで描かれた「ヨハネによる副音書」の言葉で「クォ・ヴァディス(主よ、どこへ行かれるのですか)」を典拠とする作品です。
一方ゴッホは、印象派と日本美術から強い影響を受け、彼は浮世絵を400点以上も収集していました。
彼の絵は、混色をほとんど行わない非常に明るい画面で、筆跡もはっきり残っているのが特徴です。
フィンセント・ファン・ゴッホ
作者 フィンセント・ファン・ゴッホ
作品名 「耳を切った自画像」
製作年 1889年
所蔵 コートールド・ギャラリー、ロンドン
上の絵は精神的に追い詰められたゴッホが、自身で耳を削ぎ落とした後に、描かれた自画像です。
背後には彼の好きな日本の浮世絵が見られますね。
彼は、精神病でわずか37歳で拳銃自殺を図ります。
【後期印象派、現代美術の父!セザンヌ】
セザンヌは印象派からさらに進んだ革新的な表現を開拓した巨匠。
彼の作品の特徴は形態の表現で、それまでの西洋絵画で重視されていた写実性を取り払い、代わりに描くモチーフを単純な形に置き換えました。
例えば果物は円形、山は三角形など現代人には当たり前に描かれますが、このような形を作品に取り入れた最初の人物がセザンヌです。
ポール・セザンヌ
作者 ポール・セザンヌ
作品名 「静物」
製作年 1893年
所蔵 個人蔵
上の絵は一見バラバラなモチーフの集まりですが、絶妙な配置によって見事なバランスがとれています。
彼は「絵画を描くことは構成すること」と言う言葉を残したほど構図にこだわりました。
そして彼の色彩の表現は単純で、本来はたくさんの色を使うところ、彼は「リンゴなら赤」などその物の持つ一番特徴的な色のみ使います。
もう一つの特徴としては、彼の絵は遠近法を使わず平面的な二次元な画面ですね。
しかしこのような画風は、新しすぎたため評価されたのは50歳を過ぎた頃でした。
このような画風は、ゴーガンやマティス、ピカソ、現代美術にも大きな影響をあたえます。
【小さな点が創り出す!新印象派!スーラとシニャック】
1886年に行われた最後の印象派展で、スーラとシニャックは注目を集めます。
彼らは印象派のモネが生み出した技法を進化させ「点描画」を完成させました。
点描画とは、小さな点で絵を描く事ですが、彼らはそれだけにとどまらず、色の扱いも混色を避けるために、モチーフが持つ固有色、それに光が当たって生まれる色、光そのものの色、そして捕食などをより厳しく区別し、その配置を法則化しました。
ジョルジュ・スーラ
作者 ジョルジュ・スーラ
作品名 「サーカス」
製作年 1890〜91年
所蔵 オルセー美術館、パリ
この上の絵は、1891年に開催されたアンデパンダン展に未完成のまま出品され、さらに同年スーラが亡くなったため、完成されませんでした。
ポール・シニャック
作者 ポール・シニャック
作品名 「ヴェネツィア、大運河の入口」
製作年 1905年
所蔵 トレド美術館、スペイン
上の絵を見れば分かるように、シーラよりも点描が大きく描かれています。
点描理論を広めたシニャックでしたが、スーラの死後、点描派の理論から距離を置き、独自の作風を確立しました。
彼らのような点描画は、緻密な計算のもとで描くので、ものすごく時間がかかりました。
スーラは病のためわずか31歳で亡くなりますが、シニャックがその意志を受け継ぎ、1889年に点描の理論をまとめた「ウジェーヌ・ドラクロウから新印象派主義まで」を出版し、20世紀の様々な画家に影響をあたえました。
【近代商業が生んだ!ポスター芸術!】
産業革命の恩恵を受けた19世紀末のヨーロッパでは、近代的な文化が急速に進んでいき、街中に劇場やカフェといった商業施設が立ち並びました。
それにともない需要が高まったのが、商業用のポスターやパッケージなどの広告です。
そのポスターの作品で数々の傑作を残したのがロートレックで、彼はパリ随一の繁華街モンマルトルに住み、作品は大胆な構図でその色彩は華やかで、街中を歩く人々の目をひきつけました。
アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック
作者 アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック
作品名 「ディヴァン・ジャポネ」
製作年 1893年
所蔵 ボストン美術館
上の絵は、パリの音楽喫茶「ディヴァン・ジャポネ」のポスターで、店の名前は「日本の長崎子」を意味しています。
この当時、ジャポニスムが流行していました。
この中心に描かれている黒い服の女性は、人気ダンサーのジャンヌ・アヴリルで、その右にいる男性は音楽批評家エドゥアール・ドゥジャルダンです。
画面の左上の歌手の、首から上が切れていますね。
このような大胆な構図を描くのも彼の特徴ですね。
同じくパリで人気だったのがミュシャで、彼は植物をモチーフにした模様を配する装飾的な画面が特徴ですね。
アルフォンス・ミュシャ
作者 アルフォンス・ミュシャ
作品名 「ジャンヌ・ダルク」
製作年 1909年
所蔵 メトロポリタン美術館、ニューヨーク
上の絵は、女優モード・アダムス主演の舞台のために制作されました。
見事に人物と植物が融合されて華やかですね。
【まとめ】
みなさんいかがでしたか?
印象派の考えとは別の道を行く後期印象派。
印象派の技法をさらに進化させ新しい画風を創り出した新印象派。
しかしこの時代様々な画風が生まれたので、一概に誰が何派と決めつけることは難しいですね。
最後まで読んでくれてありがとうございます。