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日本絵画の歴史!大正~ 昭和時代の有名画家たちや作品をわかりやすく解説!
mars
どうもこんにちはマルスです。
今回は大正~昭和にかけての美術の歴史や、 その時の有名画家たちや絵画作品を解説していきたいと思います。
この前の時代の明治の美術が知りたい人はこの記事を読んでね。
大正~昭和の美術の時代背景を解説!
明治時代末からの国による美術での統制や、1910年に起こる「 大逆事件」(明治天皇の暗殺を計画したとされて、 幸徳秋水ら社会主義や無政府主義者が逮捕された) などの社会的に思想弾圧が起こる中、 個性を大切にしようという動きが起きたのが、 大正時代の特徴です。
そのような時代なので、個性の尊重を説く雑誌「白樺」 などが流行しました。
西洋の最新の潮流がはいってくる!
西洋の後期印象派やフォービスム、 パリで起こったピカソらによるキュビスムやシュルレアリスムなど 、ヨーロッパの新しい芸術活動が紹介されます。
個人の内面を描いた画家たちが活躍する!
美術でも人生でも個性の尊重が叫ばれたこの時代、 画家たちは自分が見たものにとらわれず、 心に思った事を自分だけの表現で絵にすることを求めました。
新しい日本画が模索される!
外国帰りの青年画家たちが、 日本の伝統技術に西洋の写実的な表現を取り入れて、 新しい日本画を生み出そうと模索しました。
国家主催の文展にかわって開催された帝展(帝国美術院展覧会、 のちの日展)を中心に新時代の新しい日本画が発表されました。
暗い世の中で描く画家たち!
国家が社会統制を強めていき、戦争へと向かっていく中、 虚無や無秩序という精神も創作意欲のエネルギーにする画家もいま した。
戦争記録画の制作に協力する画家がいる一方で、 国家に抵抗を示す絵を描く者もいました。
しかし多くの画家たちが時代に翻弄されます。
画家たちとその作品たち!
萬鉄五郎(よろずてつごろう) 1885~1927年
18歳で上京して、白馬会洋画研究所を経て、 東京美術学校へ入学します。
黒田清春に教えてもらいつつも、 自分の個性ある画風も追求していきました。
清春とはまったくことなる挑戦的な描写は、 ゴッホやマチスの影響だと言われています。
裸体美人(らたいびじん)
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作者 萬鉄五郎
作品名 「裸体美人」 重文
製作年 1912年
技法 油彩、カンヴァス
サイズ 162.0x97.0cm
所蔵 東京国立近代美術館
本作は、東京美術学校に通っていた萬鉄五郎が、 卒業制作で描いた作品になります。
岸田劉生(きしだりゅうせい) 1891~1929年
白馬会洋画研究所で学んだ後に、 後期印象派の影響を受けた画風に変化し、 その後は北方ルネサンスの写実表現に惹かれ、 日本の古美術にも関心が移ります。
すごい好奇心が旺盛ですね。
作風がどんどんとかわっていきます。
麗子座像(れいこざぞう)
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作者 岸田劉生
作品名 「麗子座像」
製作年 1919年
技法 油彩、カンヴァス
サイズ 72.7x60.7cm
所蔵 ポーラ美術館
本作は、 北方ルネサンスの写実表現に惹かれていた頃の作品になります。
愛娘の麗子をモデルにした多くの作品のうちの1つで、 麗子が5歳ころのものです。
制作に約2ヶ月かけたと言われます。
めちゃめちゃリアルですね。
村山塊多(むらやまかいた) 1896~1919年
22歳という若さで亡くなる村山槐多は、飲酒と放浪、時には奇行を繰り返しながら激しい人生を送りました。
ボードレールやランボーの影響を強く受け、10代から絵や詩に没頭。
彼は絵だけでなく詩も多く残しています。
尿する裸僧(ゆばりするらそう)
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作者 村山槐多
作品名 「尿する裸僧」
製作年 1915年
技法 油彩、カンヴァス
サイズ 80.3〜60.6cm
所蔵 長野県信濃美術館
生前親交があった高村光太郎が「強くて悲しい火だるま槐多」と詩に描いたほど、本作もエネルギーに満ち外れた破壊の作品になります。
ほう尿をしている僧侶はおそらく槐多本人だとされています。
関根正二(せきねしょうじ) 1899〜1919年
小学生で画家を志して、独学で絵を学び就職した印刷会社の先輩からも絵を教わります。
彼は幻想で見た光景を描いたことから「幻想の画家」と呼ばれました。
失恋して心を病んでいたと言われる正二は、肺炎をこじらせて20歳という若さで亡くなります。
信仰の悲しみ(しんこうのかなしみ) 1899〜1919年
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作者 関根正二
作品名 「信仰の悲しみ」 重文
製作年 1918年
技法 油彩、カンヴァス
サイズ 73.0x100.0cm
所蔵 大原美術館
本作は、正二が19歳のときに二科展に出品した作品で、受賞時に彼は「朝夕の寂しい時に、こうした3人または5人の女性の列が、目の前に出現する」と述べています。
この作品を描いた翌年に彼は亡くなります。
古賀春江(こがはるえ) 1895〜1933年
本名は亀雄(よしお)。
キュビスムやシュルレアリスムなどの西洋の美術の影響を受けつつ、素朴さもあわせもつオリジナリティーあふれる画風を築きました。
海(うみ)
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作者 古賀春江
作品名 「海」
製作年 1929年
技法 油彩、カンヴァス
サイズ 130.0x162.5cm
所蔵 東京国立近代美術館
関東大震災からの復興もほぼ終わり、絵の中にも描かれているツェッペリン号が来日します。
モダンでグラフィックなこのような作品は、この時代の空気感を表しています。
しかしこのあとに戦争が始まるので、画家たちはこのような絵を描くことができないようになります。
靉光(あいみつ) 1907〜46年
上京して太平洋画会研究所で学びますが、ほぼ独学で幻想的なオリジナリティーのある画風を確立します。
彼は徴兵されて戦後間もなく、上海にて戦病死しました。
眼のある風景(めのあるふうけい)
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作者 靉光
作品名 「眼のある風景」
製作年 1938年
技法 油彩、カンヴァス
サイズ 102.0x193.5cm
所蔵 東京国立近代美術館
本作は日本のシュルレアリスム絵画の到達点だと言われる作品です。
発表当初は単に「風景」と題されていましたが、後に別の人物によって名付けられました。
眼の周りの物体は、ライオンをモチーフにしているという説がありますが定かではありません。
描かれたものも意味も不明ですが、眼は最後に描かれてものだとわかっています。
まとめ
みなさんどうでしたか?
今回の記事をまとめると。
-
- それまでの日本の絵画を破壊するような、西洋の最新の潮流が流入してきました。
- 個人の内面を描く絵画が世間を驚かせました。
- 日本の伝統技術に西洋の写実感を取り入れて、新しい日本美術を模索しました。
- 国家の強い社会統制に戦争に突入しようとする中での、虚無や無秩序も創作意欲にしました。
こんな感じですかね。
まだまだ他にもこの時代には、個性豊かな画家たちがいるにで気になる方はこちらの記事も読んでみてください。
絵画の歴史や個性豊かな絵師たちのことがわかると、美術作品を見るのがいっそう面白くなりますよね。
ではまた別の記事でお会いしましょう。
mars
最後まで読んでくれてありがとね、またね~
参考資料