
【ロマネスク美術とゴシック美術】違いは?5分で分る!簡単にスピード解説!
mars
どうもこんにちはマルスです。
みなさんは西洋美術の歴史に興味はありますか?
美術館などで美術品を見て何やら考えている人を見た事がないでし ょうか?
あの人達を見て何を考えているんだろう、 何処が面白いんだろうと、思った事はありませんか?
歴史や何故作られたのか、 知識があれば美術品も面白くなりますよ。
今回はそんな西洋美術の10世紀〜14世紀頃の「 ロマネスク美術」や「ゴシック美術」 について記事を分かりやすく書いてみました。
その前の時代の「初期キリスト教美術」が気になる人は、こちらの記事を読んでね。
この記事の目次
【ヨーロッパ全域に広まった!2大美術様式】
西ローマ帝国の滅亡後、ヨーロッパではキリスト教公認、 ゲルマン諸民族国家による戦国時代を迎えました。
俗に「中世」と言われ、美術を含むあらゆる文化活動が、 キリスト教のために行われた「至福千年」 と言われる時代となりました。
10世紀頃には、神聖ローマ皇帝とローマ教皇の二重権力による、 階級制が全域に確立されます。
この影響を受け、 美術も全ヨーロッパに普遍的な様式が生まれます。
この様式を「ロマネスク(ローマ風)様式」と呼ばれ、 12世紀頃まで続きます。
その後生まれるのが「ゴシック様式」です。
ゴシック様式とは、ルネサンスの文化人が前時代の様式を、 屈辱的な意味合いを込めて「ゴート人(ゲルマン系の一部族)の、 ゴート風の」と言う意味で、ゴシックと読んだ事が起因します。
ゴシック様式は12世紀〜14世紀頃まで続きます。
【信仰心を高める美術が発展する】
ロマネスク様式もゴシック様式も、キリスト教美術が全てで、 その中でも教会建築が中心的存在にあり、 壁画や彫刻などはあくまで教会を装飾するためにしかなかったよう です。
しかしその中でも特殊な工芸品もあり、 聖人の遺骨や接触物である「聖遺物」を収める、 聖遺物容器があり、 拝むと煉獄での浄化の時間を無くすと信じられてました。

「聖女フォワの人型聖遺物容器」985年頃 サント・フォワ聖堂、コンク(フランス)
3世紀の禁教時代に布教して、 処刑された聖女フォワのものとされる頭蓋骨を納めた容器。
これ自体が崇拝の対象となる特殊な工芸品。
【ミサ(聖餐式)のためのロマネスク教会】
教会では主にミサ(聖餐式)が行われました。
聖餐式とはキリストが最後の晩餐で弟子たちに行った奇跡を、 追体験する儀式の事を言う。
聖餐式では、聖別されたパンとワインが使われます。
初期キリスト教時代の西ヨーロッパでは、 神聖ローマ皇帝とローマ教皇による二重権力が確立された10世紀 から、全土に広がる建築様式が「ロマネスク様式」で、 12世紀頃まで続きます。

「サント・マドレーヌ大聖堂」1138年 ヴェズレー(フランス)
ロマネスク様式の教会は、きれいな半円形のヴォールト(天井) が特徴で、内部の壁面にはあまり絵は描かれませんでした。
代わりに柱頭や扉口の上部の、 半円形の壁面などに説話の場面を彫りました。
【柱頭とタンパン!彫刻家の凄腕】
人々は煉獄での浄化期間を短縮する目的で、西ヨーロッパ全土で「 巡礼」を始めた。
そのため巡礼路の各地に、祈りのための教会ができていき、 西ヨーロッパ全土に物凄い数のロマネスク教会が建てられた。
ロマネスク教会の入口、 正面扉の上部にある半円形のティンパヌム(タンパン)は、 彫刻家たちのレリーフ(浮彫)用スペースに使われ、 そこには教育効果の高い場面が掘られました。
教会内部には、ほとんど装飾はされず、 柱頭の部分がレリーフ用スペースとして使われ、 聖書の物語の場面などが描かれました。

「最後の審判」サント・フォワ聖堂正面扉ティンパヌムより 12世紀 サント・フォワ修道院、コンク(フランス)
中央に審判を下す神、キリストがいる。右手を上げ、 左手を下げるのは神から見て、右が天国、 左が地獄と言う法則によります。 最上層では天使たちがラッパを吹いて、 最後の審判の日の訪れを告げています。

「エジプトへの逃避」サン・ブノワ・シュル・ ロワール修道院の柱頭彫刻 11世紀 サン・ブノワ・シュル・ロワール(フランス)
向かって右が、ヘデロ王による嬰児虐殺から逃れるため、 ロバに乗ってエジプトに向かう聖母子。
左が、ドラゴンを退治する大天使ミカエル。
【広く、高いゴシック教会】
経済活動が活発になり、 経済力を持つ商人の政治力が強くなりました。
もともと皇帝と教皇の傘下にいた商人たちが、 実質的に都市を運営して行くようになり、 それぞれが小さな独立国家のようになっていき、 隣国と争うようにようになっていきました。
いくつかの教区のまとまりである司教区があり、 区をまとめる司教がいる教会を「司教座教会」と呼ばれ、 都市ごとにひとつだけある大聖堂ですね。
この大聖堂は街のシンボルとなっていき、 大きさや高さを他の街と競い合うようになります。
12世紀半頃〜14世紀まで主要な建築様式となった「 ゴシック様式」の構造の特徴としては、「尖頭アーチ」と「 交差ヴォールト」構造により、柱に荷重を集中させます。
そのおかげで荷重を増す事ができ、側壁面に、 大きなステンドグラスの窓などを設置したり、大型化、 高層化ができるようになりました。

「ミラノ大聖堂の内部」1386年 ミラノ
広さは信徒の増加のためで、高さは天に少しでも近づくため。
【満を持して登場!ステンドグラス】
ゴシック教会は荷重を柱に集中させるので側壁面にガラス窓を設置 できるようになり「ステンドグラス(着彩されたガラス)」 が利用されるようになりました。
電灯がないこの時代、教会内部を明るく照らすガラス窓は、 非常に役に立ちました。
聖職者が多人数で、大きな紙を見る事ができるようになったので、 大型の時祷書(装飾写本)などの需要が広がり、また、 大きな楽譜を読む事もできるようになったので、讃美歌( 神をたたえる歌)の進歩にも繋がりました。

「サント・シャペル内部、聖書諸場面の連作ステンドグラス」 13世紀半頃 サント・シャペル聖堂(パリ)
マリア伝やキリスト伝の諸場面が描かれています。

「美しき絵ガラスの聖母」12世紀後半 シャルトル大聖堂(フランス)
ゴシック教会建築の傑作、 シャルトル大聖堂の中にあるステンドグラス。 聖堂の中には聖母マリアをモチーフにしたステンドグラスが数多く あり、中でも1番美しいとされる最高傑作。
【修道院で生まれた超絶高価!写本挿絵】
カトリック教会の管轄下にある修道院は、 ほぼ自治運営を認められていました。
修道院は、世俗の生活から離れ、 信仰のために集団生活をする場所としてできました。
キリスト教中世では、印刷技術がまだ無いため、 聖書や時祷書などは写字生たちが手書きで写されました。
それらに装飾的な縁取りや挿絵を加えたものを「装飾写本」 と言います。
羊や子牛の皮「ベラム」で出来た紙に鉛丹(赤色系顔料) で下塗りし、テンペラ技法で彩色します。
ベラムは1頭からごくわずかしかとれず、 写本は非常に高価な物でした。
修道院内部での集団生活は、独自の文化を生み今までにない「 写本挿絵美術」と言う新しいジャンルを生み出しました。

ファクンドゥス「海と地から現れる怪獣」「 ベアトゥス黙示録註解書」より 12世紀半頃 トリニティー・カレッジ図書館、ケンブリッジ
黙示録の第12章に登場する、 尻尾で天の星の3分の1を掃き寄せて地上に投げつけたと言う赤い 龍。
【まとめ】
どうでしたか?
この中世の時代にヨーロッパ全域に広まった「ロマネスク」と「 ゴシック」の2大美術様式、 まさにキリスト教のための美術でしたね。
こうして美術の時代背景が分かると、凄く面白いですよね。
今回の記事がみなさんの役に立つと、凄く嬉しいです。
ではまた別の記事で。
mars
またねー
参考資料