印象派の画家|カミーユ・ピサロ|人生と作品たち|3分で解説
今回は印象派の画家の1人、ピサロの人生と作品たちを、わかりやすく解説していきたいと思います。
この記事の目次
【ピサロ】の人生年表
1830年
7月10日、当時デンマーク領だったアンティル諸島のセント・ト
1842年 12歳
5年間パリで教育を受ける。
パリの周辺の出身者が多い印象派の仲間たちの間じゃ、珍しい存在だったんだよ。
1847年 17歳
セント・トーマス島にもどって、家業を手伝う。
1852年 22歳
画家になる夢を諦めきれずに、書き置きを残して、ベネズエラに家
1855年 25歳
画家になることを父親に認めてもらい、画家修行のためにパリに出
1859年 29歳
サロンに初入選する。
モネと知り合う。
1861年 31歳
アカデミー・シュイスで、セザンヌ、ルノワール、シスレー、バジ
1863年 33歳
ジュリーとの間に、長男のリュシアン誕生。
その後、5人の子供が生まれる。
1870年 40歳
普仏戦争勃発。
ロンドンに避難する。
画商のデュラン=リュエルと知り合う。
1874年 44歳
第1回印象派展に参加。
以後全8回の印象派展全てに参加する。
1879年 49歳
ゴーギャンを印象派展に参加させる。
1885年 55歳
シニャックを通して、スーラと知り合う。
一時期、点描技法を取り入れる。
1886年 56歳
ゴッホと知り合う。
1890年 60歳
画商のテオ・ファン・ゴッホの画廊で、個展を開催する。
1903年 73歳
前立腺がんで死去。
ピサロと仲間たちのおもしろエピソード
仲間の仲裁役
横暴、自己中心的、非妥協男、ドガが仲間たちとしょっちゅう揉め
セザンヌの才能を最初に認めた
セザンヌは、極度の人見知りで、癇癪持ち、そのため仲間たちの間
作品名 「ポール・セザンヌの肖像」
製作年 1874年
所蔵 ナショナルギャラリー、ロンドン(個人蔵)
素人画家のゴーギャンを仲間に引き入れた
ピサロは、才能を見つける審美眼に優れ、よく才能ある若者を仲間
スーラから点描画を学ぶ
ピサロは55歳の時に、29歳も年下の点描主義を掲げるスーラか
作者 ピサロ
作品名 「ピサロ家からの眺め、エラニー」
製作年 1886~88年
所蔵 アシュモリアン美術館、オックスフォード
ゴッホ兄弟の相談に乗っていたピサロ
ゴッホの弟テオは、画商としてピサロの作品を多く扱っていました
ピサロは病状が深刻だったゴッホを、一時家に預かろうとしました
ピサロの傑作名画集
作品名 「白い霜」
製作年 1873年
所蔵 オルセー美術館、パリ
作品名 「シャポンヴァルの風景」
製作年 1880年
所蔵 オルセー美術館、パリ
作品名 「ルーアンのラクロワ島、霧の効果」
製作年 1888年
所蔵 フィラデルフィア美術館、フィラデルフィア
スーラの点描画を学んで、消化吸収した後に再びピサロらしさを取り戻した頃の作品だよ。
ピサロは新鮮な感覚を素早く捉えたかったので、点々で描いていく点描画は時間がかかるから、ピサロにはあわなかったんだ。
作品名 「森の中の浴女」
製作年 1895年
所蔵 メトロポリタン美術館、ニューヨーク
作品名 「パリのテアトル・フランセ広場、雨」
製作年 1898年
所蔵 ミネアポリス美術研究所、ミネアポリス
売れるのが遅かったピサロが、晩年にようやく金銭的にも余裕ができてからの作品だよ。
部屋から見えるパリの風景をたくさん描いたんだ。
まとめ
ピサロは、すごく世話好きでみんなから愛されてましたね。
こうして作者のことや、時代背景がわかると絵画を見るのが、さらに面白くなりますよね。
ではまた別の記事でお会いしましょう。
またね~バイバイ