「印象派」とは?なぜ「印象派」ができたのか?「印象派」 の画家たちが行ったこととは?
mars
どうもこんにちは画家のマルスです。
今回は印象派についてわかりやすく解説していきたいと思います。
今回は印象派についてわかりやすく解説していきたいと思います。
ノース
印象派の画家たちって嫌われ者の集まりなんだよね?
mars
まぁ、ただ嫌われていた訳でもないんだけどね。(汗)
そのへんの解説もしていくから楽しみにしてね。
そのへんの解説もしていくから楽しみにしてね。
この記事の目次
「印象派」とは?
印象派とは19世紀後半に、 それまではアトリエで描いていた画家たちが外に出て、 光と色彩を重視して一瞬の場面を、 素早い筆致で対象から受けるそのままの印象を、 表現しようとした芸術運動の名称です。
「印象派」の絵画は、なぜ拒絶されたのか?
なぜ拒絶されたのか?
それは、「その絵の粗さ」にあります。
それまでの絵画では、準備段階でスケッチを描いて、 それを元にした絵を描き、その上に油彩で本番を描き、 最後に高い技術力を駆使して、 筆跡を感じさせないまでに表面をつるつるに仕上げます。
そのような制作過程を重んじていたそれまでの画家たちからすれば 、印象派の人たちが「完成」と言っている絵は、 単なる準備段階のスケッチにしか見えなかったのです。
作者 モネ
作品名 「印象、日の出」
製作年 1873年
所蔵 マルモッタン美術館、フランス、パリ
mars
このモネの作品から全ては始まったんだよ。
ノース
確かに描きかけと言われてみればそうかも。
「印象派」までの美術の大きな流れ
印象派までの流れを大雑把に分けると、「ロマン主義」「 写実主義」「バルビゾン派」からの流れで誕生しました。
この時代のアカデミズムの理念は「新古典主義」でした。
新古典主義
・理想美と普遍性の追求
・重厚な歴史的テーマ
・安定した構図
・静止したポーズ
・理想的な容姿を持つ人物像
・はっきりした輪郭線
・重厚な歴史的テーマ
・安定した構図
・静止したポーズ
・理想的な容姿を持つ人物像
・はっきりした輪郭線
製作者 ダヴィッド
作品名 「ホラティウス兄弟の誓い」
製作年 1785年
所蔵 ルーヴル美術館、フランス、パリ
mars
この上の作品が新古典主義で、「芸術は万人が美しい」と思わなければならないと考えられていたんだよ。
ロマン主義
・画家個人の感受性を尊重した
・画家が感動を覚えた出来事がテーマ
・動きのある構図
・ダイナミックなポーズ
・グロいと思われても画家本人が、美しいと思えばそれが美になる
・線描よりも色彩重視
・画家が感動を覚えた出来事がテーマ
・動きのある構図
・ダイナミックなポーズ
・グロいと思われても画家本人が、美しいと思えばそれが美になる
・線描よりも色彩重視
作者 ドラクロワ
作品名 「民衆を導く自由の女神」
製作年 1830年 ルーヴル美術館、フランス、パリ
mars
芸術は「魂を揺さぶるものでなければならない」と考えられていたんだよ。
だから新古典主義のアカデミズムとは、真っ向から対立していたんだ。
だから新古典主義のアカデミズムとは、真っ向から対立していたんだ。
写実主義
・ありのままの世界を描くべきと考えた
・見たものをそのまま描いた
・神や天使など空想のものは絶対に描かない
・見たものをそのまま描いた
・神や天使など空想のものは絶対に描かない
作者 クールベ
作品名 「オルナンの埋葬」
製作年 1850年
所蔵 オルセー美術館、フランス、パリ
mars
クールベは、審査員が求めるような「歴史的英雄」や「神話の世界」などは描かず、現実社会で貧しく暮らす普通の人々の姿だけを描く「徹底写実主義」者でした。
バルビゾン派
・素朴な自然の姿を追求した
・自然をそのまま描いた
・自然をそのまま描いた
作者 ミレー
作品名 「落ち穂拾い」
製作年 1857年
所蔵 オルセー美術館、フランス、パリ
mars
この「ロマン主義」と「写実主義」「バルビゾン派」の流れで誕生したのが「印象派」なんだよ。
印象派
・見えている一瞬の場面を描くことを追求した
・明るい色で描いた
・太陽の光が当たっている様子を描こうとした
・アトリエから出て、外で直に観察しながら一気に描きあげた
・明るい色で描いた
・太陽の光が当たっている様子を描こうとした
・アトリエから出て、外で直に観察しながら一気に描きあげた
作者 モネ
作品名 「散歩、日傘をさす女性」
製作年 1875年
所蔵 ナショナルギャラリー、アメリカ、ワシントン
mars
それまでの絵画は茶色をベースに描いて、暗い印象だったけど、この作品を見るとわかるように、すごく明るくなったよね。
ノース
めちゃくちゃ明るくてキレイだわさ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
「印象派」が生まれた頃のアカデミーとは?
アカデミーで褒められていた絵画とは?
アカデミーでの良いとされる条件
①神話がテーマ
②裸婦は完全に理想化されていなくてはならない
③絵画の表面は、つるつるにして、どんなに近づいても鑑賞に耐えられる、きめ細かな仕上げにしなくてはならない(高いテクニックが必要)
④画家の文句のつけ所がない経歴
②裸婦は完全に理想化されていなくてはならない
③絵画の表面は、つるつるにして、どんなに近づいても鑑賞に耐えられる、きめ細かな仕上げにしなくてはならない(高いテクニックが必要)
④画家の文句のつけ所がない経歴
作者 カバネル
作品名 「ヴィーナスの誕生」
製作年 1863年
所蔵 オルセー美術館、フランス、パリ
mars
この作品は、当時最高とされた絵で、ナポレオン三世が購入したんだよ。
アレクサンドル・カバネルの経歴
・得意のテーマ=歴史、古典、宗教
・17歳でエコール・デ・ボザールに入学
・21歳でサロン初出展
・翌年ローマ賞受賞
・1863年フランス学士院のメンバーに
・同年、エコール・デ・ボザールの教授に就任
・3度も最高名誉賞を受賞
・17歳でエコール・デ・ボザールに入学
・21歳でサロン初出展
・翌年ローマ賞受賞
・1863年フランス学士院のメンバーに
・同年、エコール・デ・ボザールの教授に就任
・3度も最高名誉賞を受賞
絵画作品の主題に最初から優劣が決まっていた
優劣順位
高貴なジャンル
①ギリシャ神話
②聖書
③古代史
④寓意
低俗なジャンル
⑤肖像画
⑥風俗画
⑦風景画
⑧静止画
①ギリシャ神話
②聖書
③古代史
④寓意
低俗なジャンル
⑤肖像画
⑥風俗画
⑦風景画
⑧静止画
「美術アカデミー」が画家の出世を決めていた
画家の出世コース
①官立美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学して、アカデミーで力の持った教授の弟子になる
②サロンに出品して入選する
③ローマ賞を受賞して、ローマに国費入学する
④アカデミー会員になる
⑤サロン審査員になる
⑥国立美術学校の教授になる
⑦レジオン・ドヌール勲章を受賞
②サロンに出品して入選する
③ローマ賞を受賞して、ローマに国費入学する
④アカデミー会員になる
⑤サロン審査員になる
⑥国立美術学校の教授になる
⑦レジオン・ドヌール勲章を受賞
mars
この時代、アカデミーで認められてサロンに入選する以外、画家として成功する道はなかったんだよ。
ノース
能力に関係なく良い大学を卒業したら良い会社に入れる、今の社会の仕組みに似てるだわさ( •́ •̀ )
画家の登竜門「サロン・カレ」とは?
サロン・カレとは?
・アカデミーが主宰する原則年に1回だけ開かれる最も重要な美術イベント。
・ルーヴル宮殿の「方形の間」で開催されたため「サロン・カレ」と呼ばれた。
・無名の画家(アカデミー会員に限る)が、名前を売るまたとないチャンス。
・大衆の関心が高く、各新聞が大々的にその年のサロンに関する事を記事にした。
・当時の画家はサロンに通り話題にならなければ、絵を売ることは実質不可能に近かった。
・革命後は誰でも応募できるようになり、応募作が殺到したので、選考が厳しくなった。
・選考基準はアカデミズムの伝統に縛られ、古典主義的な絵画が良いとされた。
・ルーヴル宮殿の「方形の間」で開催されたため「サロン・カレ」と呼ばれた。
・無名の画家(アカデミー会員に限る)が、名前を売るまたとないチャンス。
・大衆の関心が高く、各新聞が大々的にその年のサロンに関する事を記事にした。
・当時の画家はサロンに通り話題にならなければ、絵を売ることは実質不可能に近かった。
・革命後は誰でも応募できるようになり、応募作が殺到したので、選考が厳しくなった。
・選考基準はアカデミズムの伝統に縛られ、古典主義的な絵画が良いとされた。
mars
当時のサロンの審査基準は、すごい偏っていたんだよ。
ノース
不公平だわさヽ(`Д´)ノ
ナポレオン三世が開いた「落選者展」とは?
1863年にサロンの応募作品の5分の3が落選するという自体に おちいりました。
そして画家たちの不満が頂点に達した時、ナポレオン三世がは、 落選者展の開催を決定しました。
その落選者展に、マネの「草上の昼食」が展示されると、 大変な誹謗中傷の嵐が巻き起こりました。
作者 マネ
作品名 「草上の昼食」
製作年 1863年
オルセー美術館、フランス、パリ、
マネの描いた裸体像に世間は仰天して、 崇高な芸術に対する反逆だとみなしました。
「印象派」の画家たちが行った「改革」とは?
改革その1 光の追求
作者 ルノワール
作品名 「陽光の中の裸婦」
製作年 1875年
所蔵 オルセー美術館、フランス、パリ
「太陽の光が当たっている」様子を描こうとしました。
以前は「いかに滑らかに陰影をぼかすか」を追求されていました。
改革その2 制作スタイルの変革
作者 モネ
作品名 「マヌポルト(エトルタ)」
製作年 1883年
所蔵 メトロポリタン美術館、アメリカ、ニューヨーク
アトリエから出て、外で直に観察して一気に描きあげました。
以前は外で下書きしたものを、 アトリエに持って帰って仕上げました。
改革その3 技法の改革
作者 スーラ
作品名 「エッフェル塔」
製作年 1889年
所蔵 サンフランシスコ美術館、アメリカ、サンフランシスコ
色をパレットの上で混ぜないで、 原色の色の点を並べて視覚上で混合する「筆触分解」 という高度な方法を生み出しました。
それまでは、パレットの上で混色した色を塗っていました。
mars
近くで見ると何を描いているのかわからないよ
改革その4 仕上げの改革
太い筆で大胆に絵の具を塗り重ねる「マチエール(質感)」 で仕上げました。
以前はいかにつるつるに筆跡を残さず仕上げるかを追求されていま した。
改革その5 連作への発展
作者 モネ
作品名 「ジヴェルニー近郊のセーヌ川の朝」シリーズ
製作年 1897年
所蔵 メトロポリタン美術館、アメリカ、ニューヨーク
所蔵 ボストン美術館、アメリカ、ボストン
所蔵 ノースキャロライナ美術館、アメリカ、ローリー
モネは瞬間をとらえようとするあまり、 何枚もキャンバスを並べて描き、結果「連作」にいきつきます。
以前は同じテーマを何度も描くことはあっても、 それは光線の変化を追うものではありませんでした。
改革その6 モデルの変革
作者 ルノワール
作品名 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
製作年 1876年
所蔵 オルセー美術館、フランス、パリ
パリの人々が余暇を過ごす風景を描きました。
貴族でもなく農民でもない、 新しく台頭してきた中産市民階級の人々を描きました。
改革その7 主題の変革
作者 モネ
作品名 「サン・ラザール駅、列車の到着」
製作年 1877年
所蔵 ハーバード大学付属フォッグ美術館、イングランド、ケンブリッジ
汽車は当時珍しく、 新しいものに敏感な印象派の画家たちにとって、 魅力的な題材となりました。
まとめ
mars
印象派の人々がどのような道を歩んできたのか、詳しく知りたい人はこちらの記事を読んでね。⤵
mars
どうでしたかみなさん?
印象派は、当時のサロンの体制を批判して、様々な改革をしたね。
印象派は、当時のサロンの体制を批判して、様々な改革をしたね。
ノース
印象派たちの信念はすごいだわさヽ(`Д´)ノ
mars
絵画の歴史がわかると見るのも面白くなるよね。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
また別の記事でお会いしましょう。
またね~バイバイ
最後まで読んでくれてありがとうございました。
また別の記事でお会いしましょう。
またね~バイバイ
ノース
ばいび~
参考書籍