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【北方ルネサンス】美術の特徴!画家や作品達を分かりやすく解説!

【北方ルネサンス】美術の特徴!画家や作品達を分かりやすく解説!



mars
どうもこんにちはマルスです。
みなさんイタリアで始まるルネサンス運動は知っていますよね。
北方ルネサンスとは、イタリアルネサンスから広がっていき、15世紀頃からヨーロッパ北部のいくつかの都市で行われた運動の事を言います。
イタリアルネサンスとは、違った独自の美術が生まれ、その細密な描写には驚かされます。
それまでの絵画では、主に卵黄を固着剤として使う「テンペラ」が主流でしたが、テンペラは乾くのが早いのでじっくり描くことができません、この時期ヨーロッパ北部では油絵の具が開発され、グラデーションや細密な描写が可能になったんですね。
今回はそんな超細密な北方ルネサンスの時代背景や活躍した画家たちの説明を、簡単で分かりやすく書いていきたいと思います。
その前の時代の「ルネサンスの美術」を知りたい人は、この記事を読んでね。

北方ルネサンス美術の画家達と作品!

【ロベルト・カンピンが開発!油彩技法】

北方ルネサンスの創始者と言われるのは、15世紀始めに活躍した「フレマールの画家」と呼ばれる画家で、この画家がロベルト・カンピンではないかと言われています。
フレマールにある作品群がカンピンが描いたのではないかと言われていますが、確実にカンピンが描いたとされる物は現在一つも存在しません。
彼は北方ルネサンスの特徴の一つで、「日常的空間」を絵画に取り入れた最初の人物とされています。
作者 ロベルト・カンピン
作品名 「受胎告知」
製作年 1427〜32年頃
所蔵 メトロポリタン美術館クロイスターズ分館 ニューヨーク
「日常的空間」とは上の絵を見てもらえると分かるように、聖書の一場面はにもかかわらず家具などが描かれ、中流階級の生活感が描かれています。
それまでは「非現実的」な神々しい画風がの「受胎告知」が主流でしたが、カンピンはこのような自分たちの生活感に近い親しみやすい画風を描きました。
また油彩技法を最初に使った人物でもあります。

【油彩画を確立!ヤン・ファン・エイク】

ファン・エイク兄弟は「グレーズ技法」を確立しました。
特に弟のヤン・ファン・エイクによる油彩技法は高い評価を得ました。
グレーズ技法とは、薄く溶いた絵の具を何層にも塗り重ね、深みのある色彩を生かした技法で、その透明感のある色彩は、金属や宝石は実にリアルですね。
作者 ファン・エイク兄弟
作品名 「ヘントの祭壇画」
製作年 1432年
所蔵 聖バーフ大聖堂 ヘント(ベルギー)
兄のフーベルトの死後、弟のヤンが1432年に完成させたと言われています。
お互いがどの部分を描いたかは、分かっていません。
作者 ヤン・ファン・エイク
作品名 「アルノルフィーニ夫妻の肖像」
製作年 1434年
所蔵 ナショナル・ギャラリー ロンドン
上の絵は婚礼の場面、隅々まで細密に描がかれていすね。
後ろの凸面鏡にはイエスの受難を主題とする10のメダイヨン(建築装飾)が描かれていて、夫妻の後ろ姿と立会人である公証人と画家本人が写っている。

【奇想天外なヒエロニムス・ボス】

ボスの生い立ちはあまり分かっていません。
ただ彼の作品は奇怪で幻想的な、唯一無二の存在で知られています。
作者 ヒエロニムス・ボス
作品名「快楽の園」 1500〜05年頃 プラド美術館 マドリッド
上の作品には、人間のあらゆる欲望が具現化されて描かれています。
この絵が描かれた16世紀始めのヨーロッパでは、教会や修道院が堕落し、ルターによる宗教改革が起ころうとする頃でした。
ボスは真面目なカトリック教徒で、教会や世の中への批判を込めた、風刺画を多く残しています。
上の絵はその中の一つで、他にも「七つの大罪」などが有名ですね。
作者 ヒエロニムス・ボス
作品名 「七つの大罪」
製作年 1505〜10年
所蔵 プラド美術館 マドリッド
中央にイエスが描かれ、その下には「神はすべてを見ている」と描かれています。
この絵は大食、怠惰、色欲、傲慢、憤怒、嫉妬、貪欲と言う、7つの悪徳を描き、これらの悪徳に負けないようにと、説教されています。
この作品全体が瞳の形をしていて、神がいつも見ているので正しい行いをするよう説いています。
このような画風は「バベルの塔」などで知られる、ブリューゲルや20世紀のシュルレアリストたちにも影響をあたえます。

【神のごとき!アルブレヒト・デューラー】

ドイツルネサンスに代表されるデューラーは、27歳の頃に自費出版した木版画「ヨハネの黙示録」で名を広めます。
当時印刷技術の発展と重なり、大ヒットに繋がったとされています。
イタリアの「神のごとき」がミケランジェロならば、ドイツの「神のごとき」はデューラーではないでしょうか?
デューラーは下の絵のような、自らをキリストに見立てた自画像を描きました。
作者 アルブレヒト・デューラー
作品名 「1500年の自画像」
製作年 1500年
所蔵 アルテ・ピナコテーク ミュンヘン
画面左側には、自分の名前の頭文字をとった「AD」のモノグラムと年号、右側にはニュルンベルク生まれ、28歳と書いています。
この時代肖像画を描かれる事は珍しく、まして自分をキリストに重ねる事などあり得ず、まさに「神のごとき」と見なす強い自信の表れではないでしょうか。
作者 アルブレヒト・デューラー
作品名 「四人の使徒」
製作年 1526年
所蔵 アルテ・ピナコテーク ミュンヘン
当時、新約聖書の四人の使徒を「四体液説」と言う液体に例えるのが流行していました。
デューラーはその流行も作品に取り入れ、上の絵「四人の使徒」を描きました。
左から、ヨハネ、元気で活発な「多血質」ペテロ、粘り強い「粘液質」マルコ、劇場的「胆汁質」パウロ、憂鬱質「黒胆汁」。

【超リアル主義!マティアス・グリューネヴァルト】

グリューネヴァルトもドイツ・ルネサンスを代表する一人で、グリューネヴァルトは本名ではなく、後世の著述家が付けたあだ名とされていますが、17世紀以来この呼び名が定着しており、美術館の展示や美術史などでは、常にグリューネヴァルトと呼称されています。
本名は「マティス・ゴートハルト・ナイトハルト」とするものと「マティス・ゴートハルト・ニトハルト」とする資料があり、どちらか定かではありません。
彼の描く下の磔刑のイエスは、恐ろしくリアルでその姿は、当時流行していた麦角中毒の症状をリアルに描写され、顔は苦痛な表情を描いています。
作者 マティアス・グリューネヴァルト
作品名 「キリストの磔刑」(イーゼンハイムの祭壇画)
製作年 1512〜16年頃
所蔵 ウンターリンデン美術館 コルマール
この上の絵は、不治の病に苦しむ患者の支えにとリアルに描かれましたが、そのリアルさがイエスへの敬意が感じられないとされ、批判されるようになり忘れ去られていきます。
彼が再び発見され、評価されるのは20世紀に入ってからになります。

【オランダ絵画の先駆者!ブリューゲル一族】

ブリューゲル一族は150年続いたとされる画家一族。
特にピーテル・ブリューゲルは有名で、下の「バベルの塔」は見た事があるのではないでしようか?
作者 ピーテル・ブリューゲル
作品名 「バベルの塔」
製作年 1568年頃
所蔵 ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館 ロッテルダム
ピーテルの息子二人も画家をしており、長男は名前が同じなので、よく資料などには「ピーテル(父)」などと表記されます。
(父)ピーテルは、農民の生活を題材にする事が多かったので「農民画家」と呼ばれ、長男のピーテルは父の作品をよく模写しました。
そして弟のヤンは花の絵で広く知られ、独自のスタイルを築きました。
ちなみにヤンの二人の息子も画家になり、長男はヤンと同じ名前なので、資料などには「ヤン(父)」と表記されます。
ややこしいですね。
彼らが「風俗画、風景画、静物画」が特徴の、後の17世紀オランダ・バロック黄金期の3要素の先駆者と言われます。
作者 ピーテル・ブリューゲル(父)
作品名 「子どもの遊戯」
製作年 1560年頃
所蔵 美術史美術館 ウィーン
上の絵は、約260人の子供たちが遊んでおり、約90種類もの遊戯が描かれています。
彼はよく、庶民の生活の風景を題材にした群衆画を多く残しており、当時の風俗を知るための資料としての価値もあります。
作者 ピーテル・ブリューゲル(父)
作品名 「イカロスの墜落のある風景」
製作年 1556〜58年頃
所蔵 ベルギー王立美術館 ブリュッセル
上の絵は、ギリシャ神話に登場するイカロスが、海に墜落する、人間の思い上がりを戒めるための教訓画なのですが、主役のイカロスが右下に小さく、しかも足だけで描かれています。
これは彼が風景に重点をおいたためだと言われています。
作者 ヤン・ブリューゲルとピーテル・パウル・ルーベンス
作品名 「花輪の聖母」
製作年 1616〜17年頃
所蔵 ルーヴル美術館 パリ
この上の絵は、ルーベンスが聖母子を描き、ヤンが花を描いた作品。
彼は他の画家と共同制作をよく行っていました。
彼が描く色彩豊かな花の絵は、評判が良く「花のブリューゲル」と呼ばれ親しまれました。

【まとめ】

みなさんどうでしたか?
北方特有の美術が開花したまさに「北方ルネサンス」でしたね。
油彩技法の誕生から細密な描写、徹底した写実主義、サインや自画像を描かれるようにもなり、後のオランダ・バロックの基礎もできましたね。
では今回はこのへんで終わりたいと思います。

mars
またねー
参考資料



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