日本絵画!江戸時代中期の個性豊かな画家や作品たちを紹介!
今回は江戸時代中期の有名画家たちやその作品をわかりやすく解説していこうと思います。
この時代はそれまで続いていた戦国の世の中が終わって平和な世の中が訪れ、経済的にも裕福になり、町人層が文化の中心になりました。
そんな平和な世の中になったので、個性豊かな絵師たちがたくさん生まれたんですね。
興味があれば最後まで読んでみてください。
この記事の目次
江戸時代中期の個性豊かな絵師や作品たち!
与謝蕪村(よさぶそん) 1716~84年
蕪村は俳諧師として活動しながら独学で絵の技術を身につけました。
日本画と中国画を独自のスタイルで融合させました。
何かと何かをくっつけて新しい物を創るのは日本人は得意ですね。
夜色楼台図(やしょくろうだいず)
作者 与謝蕪村
作品名 「夜色楼台図」 国宝
製作年 1778~83年
技法 紙本墨画淡彩
サイズ 28.0x129.5cm
所蔵 個人蔵
漢詩の「夜色楼台雪萬家」という一節を絵画化した作品。
中国の詩を主題にしているにもかかわらず、完全に日本化された詩情あふれる作品になっています。
池大雅(いけのたいが) 1723~76年
彼は神童とよばれるほどの早熟の天才でした。
物覚えが早いんですね。
中国の文人画が好きでしたが、それに大胆なアレンジをくわえて独自の個性豊かな表現を生み出しました。
十便図(じゅうべんず)
作者 池大雅
作品名 「十便図」のうち「釣便図」 国宝
製作年 1771年
技法 紙本淡彩
サイズ 17.7x17.7cm
所蔵 川端康成記念会
中国の明から清にかけての文人・李魚(りぎょ)の漢詩にもとづき、描かれた画帖(がじょう)(絵をとじて本にしたもの)が「十便十宜図(じゅうべんじゅうぎず)」です。
十便十宜図は池大雅と与謝蕪村の合作で、「十便図」を大我、「十宜図」を蕪村が描きました。
作家の川端康成が家を買うのを諦めてまで購入したと言われます。
鈴木春信(すずきはるのぶ) 1725~70年
春信は錦絵草創期の第一人者のひとりで、絵暦(暦を絵を使って表したもの)や、それが発展してできた錦絵(木版多色摺りの浮世絵)で一世を風靡して、人気の浮世絵師となりました。
しかし人気浮世絵師となった40代で亡くなったので、謎が多い絵師です。
平賀源内とも交流があったとされています。
雪中相合傘(せっちゅうあいあいがさ)
作者 鈴木春信
作品名 「雪中相合傘」
製作年 1766~67年
技法 中判錦絵
サイズ 26.1x19.6cm
所蔵 大英博物館
この作品は恋人関係にある男女を描いています。
細身で中性的なところが印象的ですね。
心中へと向かう場面と読み取る説もあります。
喜多川歌麿(きたがわうたまろ) 1753年頃~1806年
当時の書店は現在の出版社と書店を兼ね合わせた存在で、出版物のプロデュースも行っていました。
江戸出版界のヒットメーカーといえば、「蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)」で、蔦屋のプロデュースした人物の中でも特に有名なのが、浮世絵作家の「喜多川歌麿」です。
歌麿は美しいものが好きで、町に出て美しい女性を見つけてはモデルにしました。
歌麿に描かれた娘たちは、たくさんのファンがつき、勤め先までファンたちが押しかけたと言われます。
しかし歌麿の作品が政府批判ととらえられ、逮捕され出所後ほどなくして死亡してしまいます。
歌撰恋之部 物思恋(かせんこいのぶ ものおもうこい)
作者 喜多川歌麿
作品名 「歌撰恋之部 物思恋」
製作年 1793~94年頃
技法 大判錦絵
サイズ 39.0x29.1cm
所蔵 江戸東京博物館
女性の恋心を描いたシリーズの「歌撰恋之部」のひとつ。
同時の女性は結婚して子供ができると、眉を剃り落とす習慣があったことから、眉のない女性は既婚者だと分かります。
昔の恋人を思う女性の微妙な恋心を、なやましいしぐさや表情で描いているところが、大衆の心をつかんだ理由でした。
東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく) 生没年 不詳
歌麿の次にプロデュースしたのが写楽です。
無名の絵師を捕まえて東洲斎写楽と言う名前でデビューさせると、歌舞伎の興行にあわせて一度に28図もの役者大首絵(浮世絵の一種で人物の半身を描いたもの)発表しました。
顔を近くで見たいという庶民が多くいたので、この時代の大首絵はすごく流行りました。
しかし写楽の描く大首絵は、役者の特徴をとらえて美化せずに描いたので、役者本人やファンから避難が殺到しました。
彼は10ヶ月ほどしか活動しなかったので、その素性のほとんどが謎につつまれていました。
その後もあまり成功せず、写楽が高く評価されるのは大正時代にドイツの美術研究家が賞賛してからになります。
近年ようやく彼の正体が、能役者の斎藤十郎兵衛だとわかりました。
三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛(さんだいめおおたにおにじのやっこえどべえ)
作者 東洲斎写楽
作品名 「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」
製作年 1794~95年
技法 大判錦絵
サイズ 37.9x25.0cm
所蔵 東京国立博物館
この上の絵は、1794年5月に上演された演目「恋女房染分手網」のワンシーンです。
悪役に扮した三代目大谷鬼次の迫力を、そのままに描いています。
小田野直武(おだのなおたけ) 1749~80年
小田野直武は秋田藩士で、直武ら秋田藩士は、平賀源内が持ち込んだ、西洋や中国の沈南蘋(中国の宮廷画家)の画風に影響をうけて洋風の絵を生み出しました。
これが後にオランダ風の絵と言う意味で、秋田蘭画とよばれます。
不忍池図(しのばずのいけず)
作者 小田野直武
作品名 「不忍池図」 重文
製作年 1772~80年
技法 絹本着色
サイズ 98.5x132.5cm
所蔵 秋田県立近代美術館
中国的な画題(花や鳥など)を用いて、絹本着色という伝統的な技法を使い、西洋画の遠近を対比させる構図や陰影表現などがまざっているのが特徴です。
白隠(はくいん) 1685~1768年
彼は臨済宗の僧で高名でした。
反省を布教活動に捧げ、本格的に書画を始めたのが60歳を過ぎてからで、絵師としてではなく民衆への布教の手段として描きました。
彼の独自の表現は、曾我蕭白や伊藤若冲らに影響を与えたと言われます。
達磨像(だるまぞう)(朱達磨)(あかだるま)
本作は白隠が83歳頃の自画像で、彼の最晩年の作品だと言われています。
豪快で力強い筆致で描かれていますね。
まとめ
みなさんどうでしたか?
平和な世の中になり、いろいろな個性豊かな絵師たちが登場しましたね。
その作品たちを見ているとすごく面白いですね。
ではまた別の記事でお会いしましょう。