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江戸時代前期の日本絵画をやさしく解説!時代背景や有名画家たちも紹介!

江戸時代前期の日本絵画をやさしく解説!時代背景や有名画家たちも紹介!



mars
どうもこんにちは画家のマルスです。
今回は江戸時代前期には、どのような絵師がいたのか?どのような絵画作品があったのか?時代背景がどのように作品に影響を与えたのかをわかりやすく解説して行きたいと思います。
興味のある人は最後まで読んで見てください。
時代背景や作者の人物像などがわかると絵画の面白さが増しますよ。
この時代の前の「安土桃山時代」の美術が知りたい人はこの記事を読んでください。

この記事の目次

江戸時代前期はどのような時代だったのか!

 

文化の中心はまだまだ京都!

 

この時代、江戸はまだ都市整備途上で経済基盤も弱く、文化的な蓄積もありませんでした。

 

江戸時代前期の美術作品のほとんどが京都で制作され、安土桃山時代の作品を受け継いでいるのが特徴です。

 

風俗画もその一つで、この時代には安土桃山時代の影響を残す作品が数多く残されていて、それらが後に現れる「浮世絵」に見られる「美人図」などにも引き継がれていきます。

 

京都ルネサンスの琳派(りんぱ)!

 

琳派は全員、京都の出身で天才画家の「俵屋宗達(たわらやそうたつ)」に影響されていた公家裕福な町人層の経済力を味方につけて、今日の文化を盛り上げようとしていました。

 

琳派には「俵屋宗達」を始め「尾形光琳(おがたこうりん)」や、弟の「尾形乾山(おがたけんざん)」、「本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)」などがいました。

 

安土桃山時代から続く、狩野派が江戸と京都に分裂!

 

「狩野永徳(かのうえいとく)」の孫の「狩野探幽(かのうたんゆう)」が、一族を率いて江戸に移り、門弟の教育システムなどを作りました。

 

狩野派の社会的地位を高める足固めを行い、「画壇の家康」とも呼ばれました。

 

江戸に移った狩野探幽は、幕府体制に入り込み江戸時代を通して、一門の威厳を保ちました。

 

一方の「狩野山楽(かのうさんらく)」や「山雪(かのうさんせつ)」らは、京都に残って活動を続け「京狩野」と呼ばれました。

 

江戸時代前期の画家たちやその絵画たち!

 

風俗図屏風(ふうぞくずびょうぶ)(彦根屏風)

作者 不明
作品名 「風俗図屏風(彦根屏風)」 国宝
製作年 17世紀前半
技法 紙本金地着色
サイズ 六曲一集/94.0x271.0cm
所蔵 彦根城博物館
彦根藩井伊家に伝来したので、「彦根屏風」とも呼ばれます。
寛永年間(1624~44年)頃の京都の遊里を描いたものとされています。
それまでの風俗画は、花見などの野外での情景を描いていましたが、寛永頃からは室内のものも描かれるようになりました。
作者は不明ですが、「琴棋書画」の画題が盛り込まれていることや、画中画である水墨山水図屏風の完成度などから、狩野派の絵師だと推測されています。

浮世絵の元祖!岩佐又兵衛(いわさまたべえ) 1578〜1650年

岩佐又兵衛の父親は、戦国武将の荒木村重(あらきむらしげ)です。
村重は織田信長の重臣でしたが、主君に逆らい又兵衛が2歳のときに一族は滅亡してしまいます。
又兵衛は乳母に助けられて、生きながらえました。
母方の姓の「岩佐」を名乗り、織田信雄(織田信長の次男)に仕えたのちに、京都で絵師の仕事に就きます。
その後は福井に移り、藩主の「松平忠直(まつだいらただなお)」と意気投合し、次々に傑作を制作します。
晩年は徳川家光に江戸に招かれ、絵師として活動を続けました。
各流派の技をマスターして、オリジナルの画風を創り、浮世絵の元祖として「浮世又兵衛」と呼ばれました。

山中常磐物語絵巻(やまなかときわものがたりえまき)

作者 岩佐又兵衛
作品名 「山中常盤物語絵巻」 第4巻より部分 重文
製作年 17世紀前半
技法 紙本着色
サイズ 34.4x1259.0cm
所蔵 MOA美術館
作者 岩佐又兵衛
作品名 「山中常盤物語絵巻」 第9巻より部分 重文
製作年 17世紀前半
技法 紙本着色
サイズ 34.1x1249.0cm
所蔵 MOA美術館
当時人気の「人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)」(三味線を伴奏とした語りに合わせて、人形を操る劇)を絵巻にした、150mにもわたる大作で、全12巻あります。
最初から5巻までの主要な人物を、又兵衛が手がけたとされています。

狩野派の基礎を築いた!狩野探幽(かのうたんゆう) 1602〜74年

狩野永徳の孫で、一族を率いて江戸に移り、門弟の教育システムなどを創り、狩野派の社会的地位を高める足固めを行ない、「画壇の家康」と呼ばれました。

二条城の丸御殿障壁画(にじょうじょうのまるごてんしょうへきが)(大広間)

作者 狩野探幽
作品名 「二条城の丸御殿障壁画(大広間)」のうち四の間「松鷹図」部分/重文
製作年 1626年
技法 紙本金地着彩
サイズ 46面
所蔵 元離宮二条城事務所
幕府が後水尾天皇を迎えるために、二条城を修築していた時に、その障壁画の制作の責任者に狩野探幽を選びました。
この上の作品は、狩野探幽が一門を率いて完成させた、一大プロジェクトです。
二の丸御殿には、一門が描いた障壁画が1000面以上残されています。

垂直水平の美!狩野山雪(かのうさんせつ) 1590〜1651年

狩野山雪は若いころ、狩野探幽たちとともに二条城の障壁画の制作にも携わっています。
狩野山楽の跡をついで京狩野の二代目となりますが、狩野永徳の門弟だった山楽も狩野家と血縁関係になかったので、一門からは冷遇されました。
京狩野はもとは豊臣家と親しかってので、江戸の狩野派に比べて大きな仕事が依頼されませんでした。
そのようなことから、晩年は見に覚えのない罪で投獄されるなどの不遇が続きました。

老梅図襖(ろうばいずふすま)

作者 狩野山雪
作品名 「老梅図襖」
製作年 1647年
技法 紙本金地着色
サイズ 4面 166.7x116.0cm
所蔵 メトロポリタン美術館 (ニューヨーク)
山雪の画風の特徴は、なんといってもこの大胆に曲がりくねった垂直水平を計算された構図でしょう。

農民風俗画!久隅守景(くすみもりかげ) 生没年不詳

狩野探幽の弟子で、探幽の姪と結婚しますがのちに破門され狩野派を追われて、流浪の身となり加賀(現在の石川県)へと移り住み。四季を取り込んだ農民風俗などを描きました。

夕顔棚納涼図屏風(ゆうがおだなのうりょうずびょうぶ)

作者 久隅守景
作品名 「夕顔棚納涼図屏風」 国宝
製作年 17世紀
技法 紙本墨画淡彩
サイズ 二曲一集 149.1x165.0cm
所蔵 東京国立博物館
夕顔の棚の下で夕涼みを楽しむ親子の絵。
父親は太い線で力強く書かれ、母親は細い線で描かれています。
墨の濃淡を効かせて、父親のたくましさや母親のやさしさをうまく表現しています。

謎の多い絵師!俵屋宗達(たわらやそうたつ) 生没年不詳

人気の絵屋「俵屋」の主人だったこと以外は、何もわかっていない謎の多い絵師です。

鶴図下絵和歌巻(つるずしたえわかかん)

 

 

作者 画 俵屋宗達

書 本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)

作品名 「鶴図下絵和歌巻」 重文

製作年 17世紀初期

技法 資本金銀泥墨所

サイズ 34.1x1356.0cm

所蔵 京都国立博物館

 

 

書家の本阿弥光悦と俵屋宗達で共同で制作した作品。

当時すでに高名だった光悦が、絵屋の主人だった宗達に依頼して制作されたもので、宗達が下絵を描きその上に光悦が和歌を書いた作品になります。

 

風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)

 

 

作者 俵屋宗達

作品名 「風神雷神図屏風」 国宝

製作年 17世紀前半

技法 紙本金地着色

サイズ 二曲一双/各154.5x169.8cm

所蔵 建仁寺

 

 

鎌倉時代以降に「北野天神縁起絵巻」などに描かれてきた風神雷神図像を、俵屋宗達が独自にアレンジして描かれたもの。

 

この作品は、後の絵師たちに大きな影響をあたえました。

 

総合芸術家!尾形光琳(おがたこうりん) 1658〜1716年

 

光琳は裕福な呉服屋の息子として生まれました。

 

お金持ちで教養があり、話し上手だったため女性にもモテて、愛人も複数いました。

 

彼は多彩な才能を発揮し、うちわや着物、焼き物、漆器、手箱他にも色々なものにデザインしました。

 

今で言うマルチクリエーターですね。

 

売れっ子だった光琳でしたが、ひどい浪費家だったため破産します。

 

燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)

 

 

作者 尾形光琳

作品名 「燕子花図屏風」 右集 国宝

製作年 18世紀前半

技法 紙本金地着色

サイズ 六曲一双 各151.2x358.8cm

所蔵 根津美術館

 

 

描かれているのは、平安時代の歌物語(和歌を中心にまとめられた短編の物語集)の「伊勢物語」9段「東下り」の1場面。

 

東国に下った男が、八つ橋と呼ばれるカキツバタの名所で歌を読む場面を、人物をあえて描かずにカキツバタだけで表現した作品です。

 

紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)

 

 

作者 尾形光琳

作品名 「紅白梅図屏風」 国宝

製作年 18世紀前半

技法 紙本金地着色

サイズ 二曲一双 各156.0x172.2cm

所蔵 MOA美術館

 

 

尾形光琳の晩年の代表作。

 

全面を金地にして中央に模様化した川を描き、右には写実的に描いた紅梅を描き、左には老いた白梅を描いています。

 

俵屋宗達の「風神雷神図屏風」の変容説や、雪村の「欠伸布袋・紅白梅図」のリメイク説などが有名です。

 

まとめ

 

みなさんどうでしたか?

 

江戸時代前期の日本絵画の特徴は。

 

1 まだまだ文化の中心は、京都でした。

2 風俗画のブーム。

3 京都ルネサンス・琳派が誕生しました。

4 狩野派が江戸と京都に分裂しました。

5 個性豊かな絵師たちやその作品たちがありました。

 

美術の歴史がわかると絵画を見るのがいっそう面白くなりますよね。

 

ではまた別の記事でお会いしましょう。

 

mars
またね〜

 

参考資料

 



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