【画家紹介】ポール・ゴーギャンとは?人生と作品を解説|印象派
どうもこんにちは、画家のマルスです。
今回は、印象派の画家「ポール・ゴーギャン」を解説していこうと思います。
画家のことがわかると、絵画を見るのがさらに面白くなるよ。
印象派のことが詳しく知りたい人は、この記事を読んでね。⤵︎ ︎
この記事の目次
【ポール・ゴーギャン】の人生早見表
1848年
6月7日、パリに生まれる。
1849年 1歳
共和主義者だった両親は、政府の迫害を恐れて一家でペルーのリマ
父親は航海中に死去。
1855年 7歳
フランスに帰国。
1865年 17歳
見習いの船員になって世界を巡る。
1871年 23歳
パリに戻って、株式仲買人になる。
絵を描き始める。
1873年 25歳
デンマーク人のメットと結婚する。
1879年 31歳
第4回印象派展に出品する。
ピサロからか影響を受ける。
1883年 35歳
株の大暴落にあって、画業に専念することを決意。
1884年 36歳
妻子がコペンハーゲンの実家に戻る。
1886年 38歳
第8回印象派展に出品する。
ポン・タヴェンに滞在する。
1887年 39歳
パナマで一文無しになる。
マルティニーク島に渡って、パリに戻る。
1888年 40歳
ポン・タヴェンに再び戻る。
総合主義を確立する。
ゴッホとアルルで2ヶ月間共同生活をする。
ゴッホの「耳切り事件」勃発。
1891年 43歳
タヒチに渡る。
1894年 46歳
ブルターニュに滞在中に、ケンカをして足を負傷する。
愛人のアンナに財産を持ち逃げされる。
1895年 47歳
再びタヒチに渡る。
1898年 50歳
自殺未遂を図る。
1903年 55歳
5月8日、心臓発作で死去。
【ポール・ゴーギャン】の人生
世界を巡り、順風満帆な人生をおくる
ゴーギャンの父親は、共和主義の新聞記者だったので。
帝政派の迫害を恐れて、南米のペルーへ移住することを決めます。
しかし、厳しい船旅の途中に父親は亡くなってしまい、母親のアリ
この母方の親族は、副大統領を出すほどの影響力の持つ家で、ゴー
そして17歳になったゴーギャンは、水夫として世界を巡ります。
世界中を巡った後、ゴーギャンは株式仲買人として働き始めます。
優秀だったゴーギャンは、仲買人として成功を収め、一財産築きま
その後、デンマーク人のメット・ガッドという女性と結婚し四男一
画家としての道を歩み始める【家庭崩壊】
仲買人をしながら絵画を収集していたゴーギャンは、1874年頃
ピサロと出会い、彼から多大な影響を受け、ピサロの推薦で第4回
作者 ゴーギャン
作品名 「裸婦習作(縫い物をするシュザンヌ)」
製作年 1880年
所蔵 ニュー・カールスベア美術館、コペンハーゲン
1883年に大恐慌が起き、ゴーギャンは株の仕事を失ってしまい
そこでゴーギャンは、画家になることを決意します。
しかし、貯蓄はすぐに底をつき、愛想をつかした妻は、子供を連れ
それでも、後に引けないゴーギャンは、新たな題材を求めてブルタ
画家として開花【総合主義】を確立
再びポン・タヴェンの地に戻ったゴーギャンは、新しい絵画の潮流
それは、自然を再現する「リアリズム」を追求する印象派とは真逆
「総合主義」は、太い輪郭線に縁取られて、色彩を平坦に塗るのが特徴なんだよ。
浮世絵にすごく影響されているんだ。
作者 ゴーギャン
作品名 「説教のあとの幻影(ヤコブと天使の争い)」
製作年 1888年
所蔵 スコットランド国立美術館、エディンバラ
ゴッホとの共同生活【耳切り事件勃発】
1888年10月~12月までゴーギャンは、ゴッホが仲間を集め
そこに、ゴーギャンは「タダで生活ができる」と打算的な考えで行
作者 ゴーギャン
作品名 「ひまわりを描くゴッホ」
製作年 1888年
所蔵 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム
しかし、もともと芸術の考え方が正反対のふたりは、意見が全く合
そしてついに12月23日、事件は怒ってしまいます。
ゴーギャンが夕食後の散歩に出かけると、ゴッホがカミソリを片手
しかし、ゴーギャンに睨まれて怖気づいて、その場から逃げ去りま
家に戻ったゴッホは、何を思ったのか握っていたカミソリで自分の
そしてその耳を馴染みの娼婦にわたしに行き、アルル中が大騒ぎになり
ゴーギャン【失われた楽園】を求めて、タヒチに渡る
「南の楽園」への憧れが強いゴーギャンは、1891年、ついにタ
しかし、夢にまで見たタヒチは近代化が進み、ゴーギャンが思うよ
ガッカリしたゴーギャンは、さらに奥地のマタイエアまで行き、そ
作者 ゴーギャン
作品名 「アベ・マリア(イア・オラナ・マリア)」
製作年 1891年
所蔵 メトロポリタン美術館、ニューヨーク
個展は大失敗!!恋人にも全財産を持ち逃げされる
ゴーギャンの絵は一向に売れず、その売れない絵を抱えて、ほぼ無
そんな時、叔父の遺産が入り個展を開きましたが、注目はされたの
そして、荷物を取りに行ったポン・タヴェンでゴーギャンは、水夫
そんな動けないゴーギャンの隙を見て、同棲していたアンナに財産
ゴーギャン【マルケサス諸島】で死去
いっこうに絵が認められず「腐れきった西洋文明」と嘆き、最愛の
タヒチで遺言としての作品「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」を1ヶ月で完成させ、その後大量のヒ素を
作者 ゴーギャン
作品名 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」
製作年 1897~98年
所蔵 ボストン美術館、ボストン
その後、タヒチよりもさらに北東へ1500キロも離れたマルケサ
ゴーギャンの傑作絵画集
作品名 「麗しのアンジェール」
製作年 1889年
所蔵 オルセー美術館、パリ
作品名 「マルティニーク島の風景」
製作年 1887年
所蔵 スコットランド国立美術館、エディンバラ
作品名 「パラウ・アピ」
製作年 1892年
所蔵 州立近代絵画館、ドレスデン
この作品は、ゴーギャンが最初のタヒチ滞在時に同棲していた少女なんだよ。
ゴーギャンは10代の少女ばかりと同棲を繰り返していたんだ。
作品名 「黄色いキリスト」
製作年 1889年
所蔵 オルブライト=ノックス美術館、バッファロー
まとめ
みなさんどうでしたか?
ゴーギャンは、人間的には変わっているところがあるけど、だからこそ彼らしい不思議な世界観を描けたのでわないでしょうか。
人間的には、魅力はないけど。(-ω-;)
こうして作者のことや、時代背景がわかると絵画を見るのがいっそう面白くなるよね。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
また別の記事でお会いしましょう。
またね~バイバイ。