「日本絵画」平安時代編!特徴は?どんな美術?作品たちをわかりやすく解説!
今回は「平安時代の日本絵画」の特徴や、どのような絵師たちがいたのか?
作品の紹介も含めて、そのときの時代背景などもわかり易く簡単に説明していきたいと思います。
その前の時代の美術が知りたい人はこちらの記事を読んでね。
この記事の目次
[日本美術の基礎が完成!]
平安時代の前記は、唐から空海が持ち帰った「密教美術」の「曼荼羅」や「密教の仏たち」などの、新しい図像を伝えました。
その他にも「遣唐使(中国へ派遣された使節団)」が伝えた、唐代中期の絵画様式などの影響で、日本の仏画のバリエーションが増えました。
そして遣唐使が廃止される9世紀後半頃からは、中国的な主観や美意識を用いた「唐絵」から、日本的な自然や風物を題材にした「やまと絵」が流行していきました。
中国からの美術品などが入ってこなくなったので、自然と日本のものに意識がいくようになったんですね。
この頃の美術が日本美術の原型になったんだよ。
[上品で優雅な王朝文化&貴族趣味!]
10世紀末からの藤原氏による摂関政治の時代。
王朝文化が盛んになり、「浄土教(じょうどきょう)(阿弥陀仏の慈悲によって極楽浄土に生まれ変わることを目指す教え)」や「法華経信仰(ほけきょうしんこう)(誰もが平等に成仏できると言う教え)」などが流行ります。
貴族たちは自分たち好みの、華麗で優雅な装飾を好んだため、美しさを重視した経典や仏画が多く制作されたんだよ。
[絵画と文字が合体!絵巻ブーム!]
11世紀、「後白河天皇(ごしらかわてんのう)」が政治に実権を握った院政時代に、大寺院向けの大きな絵が描かれました。
これが絵巻の始まりですね。
絵巻には、後白河天皇の好奇心をくすぐるようなものが多かったようだよ。
宮中の祭事を描いた「年中行事絵巻」や歴史事件を描いた「伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)」とか、バリエーションもいっぱいあったみたいだよ。
[仏教美術作品達!]
釈迦金棺出現図(しゃかきんかんしゅつげんず)
作者 不明
作品名 「釈迦金棺出現図」 国宝
製作年 11世紀後半
技法 絹本着色
サイズ 160.0x229.5cm
所蔵 京都国立博物館
この絵は、釈迦が亡くなったと聞いた母親の摩耶夫人が天界から駆けつけた。
すると釈迦が起き上がって説法っを始めた、という場面です。
画面中央で合唱している釈迦の右下に描かれているのが摩耶夫人で、摩耶夫人や周囲にいる弟子たち、動物たちも皆釈迦を見つめ、釈迦が息を吹き返した瞬間を見事に描いています。
この作品では「照暈(てりぐま)」(白でハイライトを作ること、ハイライトとは、最も明るい部分)や「截金(きりかね)」(金箔や銀箔を細く切ったものを貼って模様や輪郭線を描く技法)などの技法を多く使われました。
中国の北宋時代の大画面仏教説話画が影響されていると考えられ、大寺院での説法のために制作されたと思われます。
この場面だけを描いたもので、日本に存在するものはこの作品だけだよ。
普賢菩薩像(ふげんぼさつぞう)
作者 不明
作品名 「普賢菩薩像」 国宝
製作年 12世紀中頃
技法 絹本着色
サイズ 159.1x74.5cm
所蔵 東京国立博物館
「法華経」は、女性の救済が多く説かれています。
そのため念持仏用(身近に置いて個人的に礼拝するための仏像)に描かせたと思われる普賢菩薩像が多く残されています。
その中でもこの絵は、優れているとされています。
源氏物語絵巻 鈴虫二(げんじものがたりえまき すずむし)
作者 不明
作品名 「源氏物語絵巻 鈴虫二」 国宝
製作年 12世紀前半
技法 紙本着色
サイズ 21.8x48.2cm
所蔵 五島美術館
「源氏物語絵巻」は、1119年に白河上皇によって制作され「源氏絵」が始まりで、それを継承しながら発展していき、12世紀前半の
鳥羽上皇のころに作られたと思われています。
「源氏物語」全54帖の各帖から1〜3場面を選んで絵画にしたもので、もともとは10巻程度あったとされています。
この絵に登場する人物は皆同じような顔で、すごく抽象的ですが構図やモチーフなどの組み合わせでうまく場面を伝えています。
この絵は、光源氏を主人公とした物語の終わりの方のエピソードで、光源氏が8月の十五夜に冷泉院に月見の宴に招かれる話です。
光源氏の不義密通(不倫)によって生まれた令泉院と父であるこう光源氏が、そのことを秘密にしたまま対座する場面です。
すごく抽象的だけど画面を斜めにして緊張感を出したり、畳や板張りの斜線で身分を区切ったり色々考えて描かれている作品だよ。
伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)上巻より部分
作者 不明
作品名 「伴大納言絵巻」上巻より部分 国宝
製作年 12世紀
技法 絵本着色
サイズ 31.5x839.5cm
所蔵 出光美術館
この絵は866年3月10日の夜に起こった平安京の天文の火事で、後白河法皇が宮廷絵師の常盤光長(ときわみつなが)に描かせたとされています。
大納言・伴善男(とものよしお)の告発で、左大臣・源信(みなもとのまこと)の放火とされていましたが、源信を失脚させるための伴善男の策略だったことが発覚して、伴善男は流刑となります。
抽象的な「源氏物語絵巻」とは対照的で、登場する約450人の顔が全て違います。
炎で火照って赤くなった頬など細かい部分も描かれ、感情も伝わってきます。
この絵を出光美術館が購入したときの金額が、約30億円だったんだって、すごいよね。
信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)山崎長者の巻より部分
作者 不明
作品名 「信貴山縁起絵巻」山崎長者の巻より部分 国宝
製作年 12世紀後半
技法 紙本着色
サイズ 31.8x879.8cm
所蔵 朝護孫子寺
上の絵は、命蓮が山崎の長者の家から信貴山に米を運ばせようと、法力(仏教で手に入れた力)で鉢を飛ばします。
それを拒んだ長者が鉢を米倉に閉じ込めたために、米倉ごと飛び始めた場面を描いたものです。
米倉が飛び出す前の場面と飛び出した後の場面両、方を描いています。
この物語は、信貴山に羅生門天を祀って修行を重ねた命蓮にまつわる話で、命蓮が長者の家に鉢を飛ばす「山崎長者の巻」と、信貴山に居ながら天皇の病を治す「延喜加寺の巻」、姉の尼公と再開する「尼公の巻」の3巻あるんだよ。
地獄草子(じごくぞうし)」より「鉄磑所(てつがいしょ)
作者 不明
作品名 「地獄草子」より「鉄磑所(てつがいしょ)」 国宝
製作年 12世紀後半
技法 紙本着色
サイズ 26.6x453.9cm
所蔵 奈良国立博物館
この絵は、永遠と生と死を繰り返す人間が生前の業により、死後6つのうちのどれかの道に行くと考えられていた「六道(天道、人道、阿修羅道、餓鬼道、鬼畜道、地獄道の6つ)」を描いた「六道絵」のうちの1つで、最も苦しいとされる「地獄道」の様子を描いたものです。
平安時代末期、庶民達の関心は病や死後といったものに向き始めました。
六道絵は、後白河法皇が作らせたとも言われています。
この絵に登場する苦しめられている人たちは庶民や僧侶で、絵巻を鑑賞すると思われる貴族は登場しないところも見どころだよ。
鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)
作品名 不明
作品名 「鳥獣人物戯画」 国宝
製作年 12〜13世紀
技法 紙本墨画
サイズ 30.6x1149.6cm
所蔵 高山寺
鳥獣人物戯画は、甲・乙・丙・丁の4巻からなる絵巻のことです。
甲と乙は平安時代後期の作品で、丙と丁は鎌倉時代の作品だと言われています。
甲巻には擬人化された動物が描かれ、乙巻には実在する動物と架空の動物が描かれ、丙巻は前半の人物と後半の動物とに分かれて描かれ、丁巻は人物のみで構成されています。
作者は高僧の鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)と言われてきましたが、現在作者は複数いたのではないかとされています。
上の絵は4巻のうちで一番有名な作品で、日本で一番古い漫画と言われているよ。
[まとめ]
みなさんどうでしたか?
平安時代の日本絵画は、中国に影響されていた唐の絵画から日本的なものに移り変わりましたね。
そして王朝や貴族たちの好みの、絵巻ブームも起こりました。
日本人が大好きな漫画の原型ができたのも印象的でしたね。
では今回はこのへんで終わりにしたいと思います。