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大の女好き/恋の修道士画家〖フィリッポ・リッピ〗
どうもこんにちは、画家のまるすです。
今回は恋に生きた修道士画家フィリッポ・リッピの生涯を簡単に解説していくよ。
恋に生きるなんて、すごく情熱的な人なのね (*´ω`*)
【フィリッポ・リッピ】
初期ルネサンス/1406年~1469年
大の女好き、とんでも修道士画家
フィリッポ・リッピは大の女好きで恋をすると仕事が手につかない
ある時、パトロンの老コジモ(コジモ・デ・メディチ)が、仕事を
よっぽど女の人に会いたかったのね、恋は盲目だわさ (⁎⁍̴̛ᴗ⁍̴̛⁎)
30歳年下の修道女と駆け落ちする
そんな彼が晩年に30歳も年下のルクレツィアに恋をします。
そんな彼女も修道女でした。
さっ30歳も年下!!しかも修道女!! Σ(*oωo艸;)!?もう何でもありだわさ ( ̄▽ ̄;)
そして彼は「神への奉仕よりも恋の方が大事」とルクレツィアと駆
前代未聞のスキャンダルに大騒ぎとなり告発されましたが、老コジ
ほんとお騒がせ男だわさ (-ω-;) でも最後はハッピーエンドで良かっただわさ (*ˊᵕˋ*)
海賊に捕まり奴隷となるフィリッポ
若い頃、フィリッポは友人たちと海に遊びに出かけた時、ムーア人
海に遊びに行っただけで拉致!! Σ( Д )ﻌﻌﻌﻌ⊙ ⊙ 最悪すぎるだわさ
ある日、フィリッポは火の消えた炭で海賊の首領の肖像画を描きま
瓜ふたつのフィリッポの絵を見た海賊たちは、初めてそのような絵
大絶賛されました。
首領もその絵を気に入り、これをきっかけにフィリッポたちは解放
「芸は身を助ける」とはまさにこの事だわさ (˶ᐢωᐢ˶)
突然死?毒殺?フィリッポの最期
壁画制作のために転居したスポレートで彼は突然死したため、「彼
どれだけ信用ないんだよ
女性を描かせると天下一!!さすが女好き
そんな奔放なフィリッポも画家としては、女性を描かせると右に出
さすが女好きなだけあるだわさ ϵ(ò⥐ó)ͽ
フィリッポ・リッピの作品たち
作品名 「聖母子と二天使」
製作年 1460~1465年
所蔵 ウフィツィ美術館 フィレンツェ/イタリア
この作品は、聖母マリアと幼子のキリスト、そして幼いキリストを抱える天使を描いたもので、宗教に人間性を与えたルネサンス期の最も美しいと言われた作品だよ。
このマリアとキリストのモデルは、妻のルクレツィアと息子のフィリッピーノなんだよ。
ほんとにお嫁さんのことを愛していたのね、宗教画にモデルをつけるところがフィリッポらしいだわさ (*´艸`)フフフッ♡
ちなみに息子のフィリッピーノも、フィリッポの弟子のボッティチェリに弟子入りして、著名な画家になったんだよ。
作品名 「聖母戴冠」
製作年 1441~1444年
所蔵 ウフィツィ美術館 フィレンツェ/イタリア
作品名 「東方三博士の礼拝」
製作年 1440~1460年頃
所蔵 ナショナル・ギャラリー・オブ・アート ワシントン/アメリカ
作品名 「ヘロデ王の饗宴」
製作年 1452~1465年頃
所蔵 プラート大聖堂 プラート/イタリア
まとめ:女好きの修道士!!情熱的な画家〖フィリッポ・リッピ 〗女性を描かせると右に出る者なしの女性に生きた画家
どうでしたかみなさん?ほんとに女の人が好きな画家でしたね。
本業よりも女性を優先するほどだったけどなんか憎めないだわさ ꉂꉂ(´>Д<`)
絵画の題材にはよく聖書のエピソードが使われているので、聖書の話も知っておくと更に楽しいですよ。
最期まで読んでくれてありがとうございました。
また別の記事でお会いしましょう。
またね~バイバイ。
ばいなら ヾ( ᑒ )
参考文献