日本絵画!鎌倉時代編!美術作品や特徴をわかりやすく解説!
今回は「鎌倉時代の美術品にはどんな物があったのか?」
「時代背景がどのようにして作品に影響しているのか?」
「この時代の人々の考え方やどのような絵画作品があったのか?」
などわかりやすく簡単に説明していきたいと思います。
その前の時代の美術が知りたい人はこちらの記事を読んでね。
それまでの王朝・貴族文化から武士の文化へ
鎌倉時代は、源頼朝(みなもとのよりとも)によって武家政権が確立され、武士による新しい文化が作られていきました。
そんな中、後白河法皇や貴族たちも武家の文化に触れ、自分たちの文化を変化させていきました。
鎌倉時代!様々なジャンルの美術が流行りだす!
武士の好みは、写実的で現実的でリアル主義!?
平安時代末からの華麗で美しい作品もさらに人気が高まる一方で、武士の好みに合ったリアルで現実的な作品が出回り始め、武士や庶民の間で流行ります。
特に「肖像画」が人気を集め、貴族たちが自分たちの特徴に似せて描かせた「似絵」と、禅宗と一緒に伝来した禅宗の祖師(仏教の宗派の開祖。禅宗ではその宗派を広めた高僧もふくまれる)を描く「頂相(ちんぞう)」(宗派の祖や師の肖像画)が代表的なものでした。
浄土信仰美術!阿弥陀如来(あみだにょらい)が迎えに来る!来迎図!
平安時代末期から、阿弥陀如来がいる「極楽浄土」への往生を願う「浄土信仰」が流行り、阿弥陀来迎図が描かれ始めます。
来迎図とは、阿弥陀如来が往生者を迎えに来る様子を描いたものです。
ほとんどの来迎図は、大勢の菩薩をしたがえて描かれ正面を向いたものや、座っている姿や、山の向こうから半身を出して来迎する構図など様々なものがあります。
神道美術!本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)の考えから描く!影向図!
本地垂迹説とは、仏の仮の姿のことで日本古来の神々が人々を救うために現れた、仏の仮の姿と考える思想のことです。
神が仏や僧や貴人などの姿で現れた様子を描いたものを「影向図」と言います。
仏教美術にならい、平安時代後期から日本古来の神々への信仰を題材にする様々な絵が描かれます。
鎌倉時代の作品達!
阿弥陀二十五菩薩来迎図(あみだにじゅうごぼさつらいごうず)
作者 不明
作品名 「阿弥陀二十五菩薩来迎図」 国宝
製作年 14世紀
技法 絹本着色
サイズ 145.1x154.5cm
所蔵 知恩院
来迎図が描かれ始めたころは、座った阿弥陀如来が正面からやってくる構図が多かったのですが、鎌倉時代になると立ち姿で斜めに降りてくる構図が主流になります。
流れる雲の動きなどから、スピード感を感じさせるため「早来迎」とも呼ばれます。
那智滝図(なちのたきず)
作者不明
作品名 「那智滝図」 国宝
製作年 13〜14世紀初期
技法 絹本着色
サイズ 160.3x58.5cm
所蔵 根津美術館
上の絵は「那智の滝」をシンプルに描いていますが「本地垂迹説」の考えから、古くから崇拝されていた神を仏の姿で描いたものです。
「ただの風景画じゃないの?」と思うと思うのですが、月や拝殿などが描かれていることから、御神体としての滝を描いたものとわかります。
このように滝を神様に見立てるところなど、現実を描こうとするこの時代の特徴です。
六道絵(ろくどうえ)」のうちの「人道不浄相幅(じんどうふじょうそうふく)
作者 不明
作品名 「六道絵」のうちの「人道不浄相幅(じんどうふじょうそうふく)」 国宝
製作年 13世紀後半
技法 絹本着色
サイズ 155.5x68.0cm
所蔵 聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)
六道とは、人間が生前の行いによって輪廻転生することになるとされる、6つの世界のこのです。
上の絵は、六道のうちの人道の様子として、四季の変化とともに「九相図」が描かれています。
九相図とは死体が朽ち果てるまでを9段階に分けて描くものを言います。
平治物語絵巻(へいじものがたりえまき)
作者 不明
作品名「平治物語絵巻」 三条殿夜討巻(さんじょうどのようちのまき)より部分
製作年 13世紀後半
技法 紙本着色
サイズ 41.3x700.3cm
所蔵 ボストン美術館
「平治物語」とは、1159年(平治元年)に京で起こった「平治の乱」をもとにした軍記物語で、上の絵はそれを源義朝らが後白河法皇のいる三条殿を夜半に襲撃した場面を描いたものです。
室町時代には10数巻あったとされる絵巻ですが、現在に残っていのは「三条殿夜討巻」と「六波羅行幸巻(ろくはらぎょうこうのまき)」「信西巻」の3巻と、14枚の断簡(きれぎれになった書き物)だけです。
明恵上人樹上座禅像(みょうえしょうにんじゅじょうざぜんぞう)
作者 「成忍(じょうにん)」と伝えられている
「明恵上人樹上座禅像」 国宝
製作年 13世紀
技法 紙本着色
サイズ 145.0x59.0cm
所蔵 高山寺
この絵は、山中の木の上で上人が座禅を組むという、とても珍しい構図の絵です。
禅宗では、教えを受けたことの証として、宗派の祖や師の肖像画「頂相(ちんそう)」が重要視されます。
頂相は中国から輸入されたものがほとんどで、鎌倉時代に日本でも制作されるようになりました。
ほとんどのものが師自ら墨書きして弟子に与えました。
描かれている明恵上人は、華厳宗中興の祖といわれ、東大寺を出ていったり、インドに行く計画を立てたりした僧です。
伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
作者 不明
「伝源頼朝像」 国宝
製作年 13〜14世紀
技法 絹本着色
サイズ 143.0x112.8cm
所蔵 神護寺
頂相の輸入を通して、宋や元の(中国の昔の国の名前)ような肖像画の表現が日本に伝わり浸透していくと、感情表現がない上の作品のような、凛としたものが生まれました。
特徴的なのが、顔は写実的に描かれていますが体は平面的に簡略化されています。
「伝平重盛像(でんたいらのしげもりぞう)」「伝藤原光能像(でんふじわらのみつよしぞう)」とともに「神護寺三像(じんごじさんぞう)」と呼ばれています。
しかし三像とも1990年代から、モデルや制作時期に疑問が出されるようになります。
この上の作品も源頼朝ではなく、足利尊氏(あしかがたかうじ)の弟の足利直義(あしかがただよし)だとする説があります。
もくじ
みなさんどうでしたか?
鎌倉時代の美術では、武家の社会が始まり、現実的でリアルな表現が好まれるようになりましたね。
そして浄土信仰の「来迎図」や日本古来の神々を信仰する、本地垂迹説の考えによる「影向図」、頂相などの「肖像画」などさまざまなジャンルの絵が生まれました。
絵画の歴史がわかると作品を見るのが楽しくなりますね。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
また別の記事でお会いしましょう。