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マティアス・グリューネヴァルト|自分の信じる正義のために筆を 捨てた画家
どうもこんにちは、画家のまるすだよ。
今回は、画家のマティアス・グリューネヴァルトのエピソードを紹介するよ。
知ってるだわさ。
グリューネヴァルトのキリストの絵は、めちゃ有名だわさ (◍¯∀¯◍)
そうだね。
グリューネヴァルトは宗教画をよく好んで描いていたからね。
キリストのことをよく知りたい人は、こちらの記事を読んでみてね。⤵︎ ︎
〖マティアス・グリューネヴァルト〗
後期ゴシック/1475年頃~1528年
宮廷画家マティアス・グリューネヴァルト
グリューネヴァルトはルネサンスの時代に活躍した画家で、その作
彼は、宗教改革が盛り上がる以前、マインツ大司教ウリウルやアル
その頃に描いた作品『イーゼンハイムの祭壇画』は、彼の代表作と
作者 マティアス・グリューネヴァルト
作品名 「イーゼンハイムの祭壇画」
製作年 1512年
所蔵 ウンターリンデン美術館 コルマール/フランス
この作品は、当時「アントニウスの火」と呼ばれておそれられていた疫病で、現在で言う麦角菌中毒の療養院である、アントニウス修道院に飾られた祭壇画だよ。
キリストが患者と同じ症状で苦しんでいるところを描くことで、キリストが一緒に苦しんでくれていると示しているんだよ。
そうして患者の苦しみを少しでも和らげようとしたものなんだね (⁎⁍̴̛ᴗ⁍̴̛⁎)
右のパネルは、疫病をもたらす悪魔と聖人が戦っている様子が描かれていて、患者が自分の力で苦しみを乗り越えることを期待する、神の思いを伝えているんだよ。
全て患者のことを思ったことが描かれているのね cƠᴗƠ∂
宗教改革で人生が一変する
1517年宗教改革が起こり、芸術家たちにも様々な影響が与えら
グリューネヴァルトも宗教改革に共鳴するものの一人でした。
そんな中、彼が仕えていたアルブレヒト大司教は、宗教改革を訴え
グリューネヴァルトは、大司祭に使える身でありながら、1524
自分の正義のために、大司祭たちを裏切ったのね、なんか複雑だわさ (๑•́︿•̀๑)
このようなことは許されることもなく、グリューネヴァルトは地位
逃亡者グリューネヴァルト
逃亡生活を余儀なくされたグリューネヴァルトは、フランクフルト
そして戦争から約4年後にペストにかかり死去しました。
逃亡生活の中で彼は一度も筆を握ることはあませんでした。
なんか切ないだわさ ( ˘•ω•˘ )
マティアス・グリューネヴァルトの作品たち
作者 マティアス・グリューネヴァルト
作品名 「キリストへの嘲笑」
製作年 1503~1505年
所蔵 アルテ・ピナコテーク ミュンヘン/ドイツ
グリューネヴァルトはよく、キリスト伝の受難の場面を好んで描いていたんだ。
この作品は彼の初期の作品でキリストが逮捕される瞬間を描いているんだよ。
民衆がよってたかってキリストを嘲り殴ったり、暴行する民衆の残酷さがわかる作品だよね。
民衆の顔、怖いだわさ :(´◦ω◦`):プルプル
作者 マティアス・グリューネヴァルト
作品名 「聖母子」
製作年 1517~1519年
所蔵 聖母マリア戴冠教会 バート・メルゲントハイム/ドイツ
作者 マティアス・グリューネヴァルト
作品名 「聖エラスムスと聖マウリティウスの出会い」
製作年 1524~1525年
所蔵 アルテ・ピナコテーク ミュンヘン/ドイツ
まとめ:自分の正義のために筆を捨てた画家、グリューネヴァル ト
どうでしたか?みなさん。
グリューネヴァルトは信念の強い画家でしたね。
自分の正義のために夢を捨てるなんて、めちゃかっこいいだわさ (≧∇≦)
グリューネヴァルトが好きだった、キリストの話や聖書の話の記事もあるので、もし良ければそちらの記事も読んでみてね。⤵︎ ︎
最後まで読んでくれてありがとうございました。
また別の記事でお会いしましょう。
またね~バイバイ。
ばいなら (๑'ᴗ'๑)ノ"
参考文献